ドイツW杯滞在記

2006年8月11日 (金)

やっと敷金が戻ってきました

フランクフルトで借りたアパートの敷金(デポジット)がやっと返金された。ドイツでは、通常、契約終了から4週間後に返金されるという。法律上は6ヶ月以内に返金すればいいらしいから、返金は早かった方なのかもしれない。1200ユーロの敷金から、部屋のクリーニング代金80ユーロと送金手数料が引かれた額に、(1ユーロ=146.03円)で変換されて日本円で金額が戻ってきた。あとは病気治療分の保険金とi-pass利用分の請求がくれば、ドイツW杯の面倒な手続きは終了となる。しかし、結構、長くかかるものだ。

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2006年7月17日 (月)

ドイツW杯期間中のi-pass利用について

i-pass総利用時間を計算してみた。W杯中一月で、利用した時間は約24時間、利用料金が25円/分(NTTコミュニケーションのホットスポットの場合)なので、料金は合計、約36000円となる。カード決済なので、最終的な精算は8月分でくるもよう。ドイツテレコムの短時間のホットスポット利用よりも、少し高いが、場所によってはぶちぶち切れて、時間内でも、そこで利用が終了してしまうので、使用感としてi-passの方が良かった。2006年、南アフリカがどういう状況か分からないが、きっと利用できる場所も少なくて、さらに犯罪が多いところなので、持っていったノートPCを盗られる(強盗される)人がいっぱいでるんだろうなあ...。やっぱり、南アフリカは、あの犯罪発生頻度の高さでいえば、W杯を開催する資格がないように思える。

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2006年7月14日 (金)

お知らせ(写真削除予告)

「写真」をかなり掲載してるため、現在、ココログ容量のほぼ半分以上を既に使っている状況です。容量節約のため、将来的に「写真」は削除いたします。(次期は未定。ただし2006年7月末までは残しておきます。それ以降はいつ削除するか分かりません)。ということで、写真の方に興味のある方はお早めにお願いします。

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2006年7月13日 (木)

やっと更新できました

ココログが7/11(火)14:00~7/13(木)14:00までサーバーメンテナンスを行っていたため、更新できませんでした。(それでW杯の最後の方は重すぎる状態だったようです)とりあえず、7/9~7/10分の記事と写真を更新してます。

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2006年7月11日 (火)

7/11滞在記、北京~日本

北京では、約5時間の待ち時間があった。せっかくなので、北京空港の観察を始める。中国人は、男は日本人と雰囲気が違うので、すぐに分かるのだが、若い女性の方は、日本人と区別のつかない人間が多い。書店を見ると「CanCam」の中国版(16元)が売られていて、それを参考にしてる女性が多いようだ。その他、旅行ガイドブックも「地球の歩き方」のコピーだし、アイドルDVDも、そのアングルや撮し方が、日本のもののコピーにしか見えない。しかし、20分ほどで、その人に似たフィギュアを作る職人もいて、この辺は、さすがに歴史的に手先の器用さを生かした文化(例:米粒に文字を書く)を作ってきた国だと感じさせる。各国のコピーの氾濫、歴史的文化、経済発展、世界最多の人口、いろんなキーワードがこの国に当てはまる。そして2008年北京五輪に向けて、サッカーもかなり強力に強化を図ってくるだろう。いつになるかは分からないが、将来的に中国は韓国以上のライバルになってくることは間違いない。今回のW杯、日本人と同じくらいの数の韓国人と中国人を見た。あくまで印象でしかないが、8年前と比べると、その人数は3倍近くにはなっているような気がする。国の経済力がついた証拠だろう。金がなくても有力な選手を育成してる国(アフリカ、南米など)も多いが、強化に使う金はないよりはあった方がいいに決まっている。W杯を観戦したことで、間接的にだが、彼らのサッカーも進化するだろう。あの馬鹿会長の元では、世界のトップに追いつくどころか、いつか彼らに置いていかれるかもしれない。そういう危機感を感じている。
自宅には日付が変わった後到着した。TVをつける。北朝鮮のミサイル問題とオシムに関するニュースばかりが目立つ。どうやら川淵会長は、意図的な失言といろんな大きなニュースが重なったことにより、責任問題から話題をそらすことに成功したようだ。日本の蒸し暑さと、この雰囲気にうんざりする。
ともかく4年に一度の「祭り」は終わった。そして、これからJや世界各国のリーグ戦という日常が始まる。同時に4年後の「祭り」に向けての戦いも始まる。日本はマイナスからのスタートだ。その「祭り」をよりよいものにするために、間接的にでも協会と馬鹿会長には圧力をかけ続けるしかないだろう。それぞれができる範囲でできることを考え実行していくこと。それが、我々が「W杯」を楽しむためには非常に重要なのだ。(参加する以上は代表が強くなくてはね。受ける楽しみも半減します。)

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2006年7月10日 (月)

7/10滞在記、フランクフルト~機内、日本へ

ベルリンからのICEは7時にフランクフルト中央駅についた。11:30に不動産屋と待ち合わせして部屋を明け渡す約束なので、あまり時間はない。その後は、20:15発の中華航空でドイツともさよならする予定だ。
シャワーを浴び朝食を食べ荷物をまとめ部屋を掃除したら、11:20になっていた。不動産屋は皿の数とかもちゃんとチェックしていたが、おそらくイングランド人に比べれば、特に問題はないはずだ。ヴィースバーデンの担当とは「物件が決まったら保証金は帰りにキャッシュで戻す」という話でまとまっていたはずだが、どうもフランクフルトの事務所では「ユーロで銀行振込」になっているようだ。そういえば、そこまで話がまとまっていなかった。何せ契約書にサインしたFAXを送信したのが、ドイツに出発する5時間前なのだ。そこまで話できるわけがない。今の都市銀行の口座ではユーロで入金できないはず。名詞をもらい、帰ってからメールで銀行口座を連絡することになった。
帰りの荷物は行きの倍になっている(苦笑)。Tシャツやパーカーなどを買いすぎたかもしれない。ドイツを出発する日に郵送という手も考えたが、結局、全部、持って帰ることにした。そこで中央駅の1ユーロショップでスーツケースより少し小さいぐらいのキャリーバックを15ユーロで購入する。おそらく2,3回使ったら、あとはもたないようなちゃちな代物だが、日本に帰るまで持てば、それでOKだ。
中央駅にて手荷物を預けた後、アパートの大家さんへのおもやげを買うために三越へと向かう。大家さんには郵便物を保管してもらっている。一ヶ月になるとかなり貯まっていることだろう。
三越からレーマー広場への途中にアイントラハト・フランクフルトのFANSHOPがあった。中をのぞいてみるが、そんなに広くない上、W杯関連商品が半分を占めていた。極端にアイントラハトグッズが少ない。シャルケとは大違いだ。高原のユニもまだなかった。早々に退散し、レーマー広場へと向かう。イングランド人、韓国人、オランダ、アルゼンチン、ブラジル、W杯中、いろんな人種が訪れたレーマーも今はサポの姿は一つもない。W杯は完全に終わっていた。人々の顔も、ビジネスマンの顔、店員の顔、いつもの日常の顔に戻っている。中央駅前の店ではW杯関連商品の投げ売りが始まっていた。きっとあと5日もすれば、ショーウインドウはすっかり夏向けや一般の観光客向けの商品へと取って変わるだろう。」空港ではハノーファーのスペイン対フランス戦の時に会った人達と再会する。決勝はやはり「相場が、1枚1000ユーロ」で高くて買えなったようだ。一緒の飛行機かと思えば、彼らはANAの直行便だった。きっと帰りはW杯の話で盛り上がることだろう。帰りの中華航空では日本人の数が極端に少なかった。帰りの到着が遅いため、この便を避けた人も多いのだろう。寂しい機内になりそうだったが、疲れていたため、飯食ってる他は、ほとんど爆睡していたため、すんなり北京まで到着した。

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2006年7月 9日 (日)

7/9滞在記、ベルリン

7時に起きて、ベルリンを少し観光する予定だが、起きたら11:00だった(苦笑)。結局、ベルリンには16:00前に到着、友人に勧められていたペルガモン博物館を訪れる。日本語テープ(無料)の解説つきだ。1時間ぐらいですます予定が、終了までの2時間でも、はっきり言って時間が足りなかった。旅慣れた友人が勧めるだけあって良かったが、2時間ではあまり鑑賞しきれたとは言えないだろう。結局、今回、ベルリンは「壁」もブランデンブルク門も見ずに終了する。
軽く夕食をとった後、ベルリン中央駅へ戻り、ブログを更新しようとするが、ココログが混んでいるのかニフティのサーバーが貧弱なのか分からないが、全く更新できない。30分ほど粘ったが、テキスト記事一つでさえ、更新できなかった。
スタジアムではチケ代が高くてスタジアム観戦を断念する。試合をまともに見れたのは後半開始からだ。一日、休養が長かったイタリアの方が、全く動きが悪い。ラインがずるずる下がり、危険な位置からのクロスもフリーで上げさせることがしばしば。黒人たちの個人技を2人、3人がかりで止めるのがやっとという状態だ。「ザマの決戦」どころか、首都ローマを攻められて、いつ陥落してもおかしくない状態が続く。75分過ぎには、半分以上、あきらめていた。しかし延長後半、ジズーが、乱心の末、退場になってしまう。しかし相手が10人になったのにも関わらず、イタリアのペースは上がらない。フランスも将軍抜きでは攻め手を欠き、結局、PK戦となった。そしてイタリアが珍しくPK戦で5人全員決めてW杯を獲得した。ローマ帝国の歴史に例えれば、カルタゴの敵将軍が乱心により討ち死にし、さらに攻略できない内に兵糧がつきてしまったため、ローマが命拾いしたみたいな感じだろうか(苦笑)
この試合、サッカーの神は迷いに迷われたようだ。この試合だけで見れば、間違いなく勝者にふさわしいのはフランスだ。だが大会全体を通してみるとふさわしいのはイタリアの方だった。双方に決め手がない場合、神はPK戦を選ぶのだろう。PKに入った時点で、90年大会から続く(90年PK負け、94年PK負け、98年PK負け、2002年韓国の審判不正工作による負け)イタリアの不運を、サッカーの神様はこの勝利でチャラにしたような気がする。それにしてもジズーは、最後の試合で世界中の人間が注視するW杯ファイナルという大舞台で、頭突きで退場とは...。世界中が唖然としたに違いない。
ともあれ、W杯は終了した。ローマやイタリア各地は、「イッタリア!イッタリア!」の大合唱で凄いことになっているだろう。もちろんファンフェス会場にもなっているカイザー・ヴィルヘルム記念教会広場には、大勢の人が集まってきている。イタリア人、フランス人、ドイツ人の他にも、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、クロアチア、いろんなユニを着た国の人々がそこにはいた。ファンフェス会場でのイベントの他でも、黒人たちによりアフリカンドラムが叩かれ、、あちこちで踊りが始まっていた。「イッタリア!イッタリア!」のコールがあちこちで起き、イタリア国旗を掲げた車も何台も繰り出している。もちろん今夜の主役はイタリア人たちだが、脇役たちもそれぞれの思いを胸に、W杯という4年に一度の「」祭りの終わり」を楽しんでいるように見える。
その祭りの喧噪の中で、ふいに「トッティ」君のことを思い出していた。今大会のイタリアの10番のことではない。93年春、イタリア旅行した時に、フィレンツェからローマへ向かう電車の中で一緒に乗り合わせた「トッティ」君のことだ。フルネームはビンチェンソ・トッティだった。ほぼ同じくらいの年の両者は、いろいろなこと拙い英語で話した。セリエAのこと。始まったばかりの日本のプロサッカーのこと、話はいろいろな内容に及んだ。(「ビンチェンソ」という彼の名前に漢字を当てたりもしたな..)彼はイタリア南部のアキレス腱部分ぐらいにある小さな町(名前は忘れてしまった)出身の青年で、トリノに働きに出てて帰省するところだという。その町のことを聞くと「何もない町だ。フットボールクラブ?今は、3部にいるよ(苦笑)。北のチームは金持ってるから強いけど、南はどこも貧しいんだ。でも海はとってもきれいだけどね」という答えが返ってきた。そして82年スペイン大会の話を聞くと「あの日は素晴らしい日だった。国中が沸き返っていたよ。あれは一生忘れられない思い出だ」と。その時だけは目を輝かして話してくれた。それを聞いて、当時、まだ20代前半だった自分は心底「羨ましい」と思ったものだ。今頃、きっと「トッティ」君は子供と一緒に今回のイタリア代表の快挙に大喜びしてるだろう。人生で2度も「W杯獲得の歓喜」を味わえる人は、世界中でもそういないはずだ。あれから13年後、彼のことを相変わらず羨ましく思う自分がいた。広場では「祭りの終わりの宴」はまだ続いている。きっと朝まで続くことだろう。「死ぬまでに、ぜひこの宴の主役になってみたいものだ。でも今の老害会長が続投すれば、実現しても、その頃はほとんど寝たきりになってるかもしれないなあ...(苦笑)」こう思いながら、フランクフルト行きの電車に乗り込んだのだった。

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2006年7月 8日 (土)

7/8滞在記、フランクフルト

試合開始1時間前、フランクフルトでは雨が降っていた。3決で気合いが入っていないため、TV観戦することに決定する。近くのスポーツバーという手もあったが、ファイナルのために、節約することにした。
3決は、いつも見てることは見てるのだが、どうも気合いが入らない。「なくてもいいんじゃないか」という気もするゲームなのは確かだ。決勝Tを見続けた緊張感が持たないのだ。やる方も、準決勝までの緊張感がないように感じる。今日も、ドイツとポルトガル、双方とも主力を何人か休ませた中で試合は始まる。
試合は予想通りドイツが勝った。ZDFの実況アナウンサーは3点目が入った後「これでパーティーになった」と言ったような気がする。近くのスポーツバーからは、ドイツに点が入るたびに、3点目が入ってからはGKカーンがシュートをはじき返すたびに大きな拍手が起こる。
試合終了後、表彰式が始まる。クリンスマンがメダルを受ける時も、スポーツバーから拍手が起こる。クリンスマンは笑顔だった。重圧と戦い最低限の任務を果たした後の、いい表情だった。スタジアムが暗転し花火が上がる。ドイツ人たちは試合終了後も30分以上帰らないで、選手と一緒に喜びを分かち合っていた。まさに開催国のために用意されていたかのような3決だ。3決では、ファイナルと同じように勝ったチームは、勝利で大会を終えることができる。その意味では「W杯には届かない開催国」が大会を終えるにはふさわしいのかもしれない。そういえば、90年大会のイタリアもそうだった。あの時のイタリア国内の反応はどうだったのかは分からない。しかし、今回の3決ではドイツ人も素直に喜んでいた。
街の様子を伺いに外へ出る。ドイツ国旗を掲げた車が市内を何台も走っている。あのアルゼンチン戦後のベルリンの時ほどの勢いはないが、「ドイチェラント!」コールが起こっていた。PV会場近くでは、フランクフルトのサマーフェスも行われていた。多くの露店が並び、コンサートやベリーダンスも披露されていた。河川敷の遊歩道では、若者たちが音楽をかけて踊っている。、PV会場から流れたドイツ人たちも、我が代表のW杯の終わりを楽しんでいるようだった。ドイチェラントのW杯は終わったが、フランクフルト市民の夏はまだまだこれからだ。
夏祭りは朝まで続きそうだったが、自分は明日のためにアパートに戻った。明日はベルリンへの8時間以上かかる往復とファイナルが待っている。一ヶ月のドイツ滞在も終わりが近づいている。いろいろな事が起こったが、最後はいい思い出にして帰りたい。そう思いながら眠りについた。

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2006年7月 7日 (金)

7/7滞在記、ローテンブルク観光

まったくの観光記です。この記事は、サッカー関係の記事ではないです。あしからず。

ローテンブルクに着いたのは16:00頃だった。足の状態も良くなり、朝7時頃起きて観光するつもりだったが、結局、起きたのは11:00だった。ローテンブルクへはフランクフルトからだとヴュルツブルクとシュタイナッハで計2回乗り換える。非常に不便だが、そういう所には、えてしていい場所が多い。地球の歩き方には「ロマンチック街道のハイライトとしてドイツ観光の目玉商品となっている」とある。ただ、そういう場所はイタリアでかなり見てきたので「どんなもんでしょうねえ?」という軽い気持ちで向かった。駅で帰りの時刻表をチェックすると、なんと20:05の電車で最終だった。日帰りする予定できたため、財布には40ユーロほどしか入れてきてない。宿泊するには厳しかった。慌てて観光に走る。結局、見ることができたのは、聖ヤコプ教会と中世犯罪博物館を駆け足で見て、あとは街の雰囲気を味わうのみになる。ハイライトと言うだけあって、結構、いい場所だった。しかし4時間では、半分もローテンブルクを味わってないだろう。ここは彼女や嫁さん(まだ仲が良かったらという条件がつくが..)と一緒に手をつないで歩きたい街の一つだ。おそらくW杯期間中に知り合ったカップルが、かなりの数訪れて、さらにその仲を深めたに違いない。一人旅では現地調達するしかないが、残念ながらその時間もなかった。しかし、ファイナルを観戦するには、かなりの幸運を必要とするので、今日はこのぐらいの運の方がいいのかもしれない。これで「古いチケット」つかまされたり、フランスが準決勝みたいな試合で勝ったら洒落にならないけどね...。

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2006年7月 6日 (木)

7/6滞在記、フランクフルトにて左足の養生

昨日だけで電車に10時間近く乗っていたこともあり、左足の状態がいまいち戻らないため休養日にあてる。腰と左足にサロンパスを貼り昼過ぎまで熟睡するとだいぶ状態が良くなる。さらに夕方近くまで寝て、それから中央駅のマックでブログの記事のいくつかを更新した。本日はこれでやめようかと思ったが、さすがにせっかくブログを見に来てくれる方も多くなってるので、ドイツの大衆紙ビルドの記事のいくつかを写真で載せてみる。
フランスW杯の時は「レ・キップ」のお世話になったが、隣国なのにドイツでは売っていない。イタリアの「ガゼッタ・デロ・スポルト」は売っているが、値段が「定価で1ユーロ。ドイツでは1.6ユーロ」ほどして高いので、ドイツではビルドを毎日買っている。大衆紙の割には、使えるサッカー情報がかなり掲載されており、ネットに自由に接続できない状況では非常に重宝している。しかも値段は0.5ユーロ。かわいい熊の写真やセクシーショットも多く、ドイツ語が分からなくても、それなりに楽しめるのがいい。とりあえず「ヒデの引退記事」も見つけましたので、よかったら写真の方を見てください。それでは。

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2006年7月 5日 (水)

7/5滞在記、フランクフルト~ミュンヘン

目覚まし時計の音ではなく、左足のけいれんで起こされる。慌てて足の筋をのばして痛みを納めたが、歩くには少し痛い。どうやらかなり腰と足にきているようだ。考えられる原因は、電車に毎日長時間乗ってることによる疲労。ソファーベットのスプリングがあまり良くないこと。そして最大の理由はここ1ヶ月湯船に浸かっていないことだろう。これらが疲労の蓄積につながって、このけいれんにつながったようだ。(前回のフランスW杯の時も、シャワーしか浴びていなかったため、最後の方は足が何回もつりそうになった)。念のため持ってきていたサロンパスを腰と左足に貼り付け、時間ぎりぎりまで寝て、やっとなんとか歩ける状態まで持っていく。予定では10:00頃の電車に乗る予定が、結局、12:20の電車に乗車した。幸いがらがらだったので、足を延ばして、もみほぐしながらミュンヘンへ向かう。予定より1時間ほど遅れて、5時間かかってミュンヘンに到着。これでミュンヘンは全く観光できないことに決定(苦笑)。さらに、名物白ソーセージ(夜まで出す店は少ないようだ)を食べることができる店を探す気力(左足の影響で)もない。中央駅構内で鶏の丸焼きの半分を売っていたので、それを買って夕食にした。予想通り美味だった。フランスでもそうだったが、この丸焼きの鶏がとにかくうまいのだ。日本とはおそらく飼育条件がかなり違うのだろう。

チケットは結局定価以下で購入した。席はゴール裏の3階席だが、非常に見やすい。客席の雰囲気は観客の多くがドイツ人のため、試合開始時にはかなり静かだった。さらに試合の方も、見た目、地味な展開になったため、ドイツ人たちが自分たちで勝手に盛り上がり始める。まずはウェーブをかける。さらに「ドイチェラント!」コールや「ユルゲン・クリンスマン」コールが何回もかかる。ドイツ人たちは、自分たちの代表が負けてかなり投げやりになっているようだ。少なくとも自分のいたフランス側ゴール裏3階席は、W杯の準決勝にふさわしい雰囲気ではなかったと思う。これまで「さすがドイツ、フットボールの歴史がある国だな」と思うことが非常に多かったのだが、これにはがっくりした。他国同士の試合でも真剣に観戦するという点では日本の観客の方がいいのかもしれない。
試合の方は、フランスが老獪だがおもしろくない試合をしてファイナルに進んだ。ブラジル戦は後半からしか見ることができなかったが、すばらしいサッカーをしていて期待していたから、少しがっかりする。
試合後、「この試合で自分のドイツW杯は終わりにしたくない」という気持ちがかなり強くなり、決勝をどうにかスタジアム観戦することを考えている自分がいた。(決勝はブランデンブルク門でもPV会場で見る予定だった)ジズーは好きだが、今のフランス代表は好きじゃない。決勝はイタリアを応援することに決定する。今までの戦いぶりで行けば、イタリアがW杯にふさわしいはずだ。しかし、決勝はフランスも全然違う戦い方をするだろう。フランスW杯、ユーロ2000決勝のように、この両者の戦いは、間違いなくディテールの戦いになるはずだ。おそらく、サッカーの神様が「どちらにW杯を与えようか何度も迷うような」そんな試合になることを期待している。
しかし、その前に左足をまともな状態に戻さないとなぁ...。

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2006年7月 4日 (火)

7/4滞在記、ゲルゼンキルヒェン~ドルトムント

今日はシャルケ04のスタジアムと練習場などを見学後、ドルトムントでの準決勝に向かうことにする。ルールダービーの両都市間は電車で約40分。一日に回るにはちょうど都合が良い。ゲルゼンキルヒェンでは、スタジアムツアーと博物館も行く予定だったが、準々決勝からまだ日が浅いためか、スタジアムはまだFIFAの管理下に置かれていた。ケルンではスタジアムのそばまで近寄れたのだが、ここはフェンスで遮られている。シャルケ博物館へ行くこともできなかった。あと可動式のピッチをぜひ見学したかったのだが、非常に残念だ。仕方ないので、練習場等を見学する。ここもケルンと同様、スポーツ公園内にあるので、広々としている。4面の芝のピッチに加え、旧スタジアムにビーチフットバレー用の砂のピッチがあり、さらにクラブオフィスやFANSHOPもある。トップチームから各年代、レディースまで十分に練習をこなせるだろう。ピッチの側にはカフェもあり、親たちは、ここで子供の練習風景をビールでも飲みながら見学できる。またレストランも近くに3軒もある。3軒分の経営が成り立つほど、シャルケサポはここに見学に来るのだろう。さらに、この公園は町の中心部、中央駅からトラムで15分の距離だ。各年代バラバラで、しかも交通の便の悪い場所で練習しているJクラブから見ればうらやましいほどの環境に違いない。見学後は、FANSHOPでTシャツを購入。(大人用のSサイズでもでかかったため、子供用を購入。これがジャストフィットだった)ユニフォームやTシャツなどの他に、ワインからバスローブまで、いろいろグッズがてんこもりだ。サポはこれらの品物を買ってクラブに貢献しているのだろうなあ..。ゲルゼンキルヒェン中央駅へ帰るの途中にPV会場がある。たくさんの市民が、続々と入場している。試合開始2時間前なのにPV会場はほぼ半分以上埋まっているみたいだ。トラムから写真を撮ると子供達は元気よくポーズをとってくれた。ドイツは、いよいよ盛り上がってきたようだ。

ゲルゼンキルヒェンからドルトムントへ向かう電車は満杯の状態で、かなり蒸し暑い。その中を「ドイチェラント!ドイチェラント!」のコールが、ひっきりなしに続いていた。ドルトムント中央駅に到着、しかし、かなりの人はスタジアムへ向かうUバーンでなく市街地へ向かう。おそらくPV会場なのだろう。準決勝のチケット代金はカテ1が400、カテ4で90ユーロ。会場ではおそらくカテ4で最低200はするだろう。さすがに、ここまで来ると若いドイツ人では手が出ない金額だろう。会場では、ブラジル対フランスの時のように、チケットがほとんどなく、チケット難民が多くいる状態だった。最低で600。予算が400だったので、話にならない状態だ。一番入ってみたかったスタジアムなだけに試合開始後もかなり粘ってみたが、どうにもならなかった。中央駅のバーで前半30分ぐらいからTV観戦する。合い席したのは40代後半ぐらいのベルリン在住のドイツ人男性で、ハーフタイムにいろいろ話しかけてくる。双方、英語があまりうまくないため、あまりコミュニケーションが取れなかったが、彼は、この大会に不満を持っているようだ。「ドルトムントのホテルはどこもいっぱいで、いろいろたらい回しにさせられた。娘がヨーロッパ東芝に勤めているから、幸運にもベルリンでのドイツ対アルゼンチンは見ることができたが、この大会はチケット代金が高すぎて一般のドイツ人はあまり見ることができない。」他にも、いろいろ話してくれたが、自分の貧相な英語力では、これぐらいしか理解できなかった。そして後半開始直前に「この試合、イタリアが勝つよ」と予言した。彼は延長に入る前にバーを出て行った。最後に握手をして別れる。バーは途中までは座って余裕で観戦できたが、徐々に人が多くなり、だんだんTV画面が見えにくくなっていく。延長に入ると全ての人が立って見るはめになる。延長に入り、ドイツ2枚目までの交代が予想通りなのを確認してリッピはFW3枚(ジラルディーノ、イアキンタ、デルピエロ)とトッティという超攻撃的布陣に変えてきた。一方クリンスマンは、3枚目もFWクローゼに代えてFWノイビルの投入と、これまでと交代策は変わらない。この辺の積極性の違い、監督経験の差が、試合の行方を決めたような気がした。
苦しかったオーストラリア戦でもPKを獲得したグロッソが先制点を決め、デルピエロがカウンターから得意の角度で鮮やかなループを決めると、一斉に客は帰りはじめる。
PV会場からも、中央駅に向けて一斉に人が帰り始めている。中央駅は一時身動きが取れない状態だった。みんな疲れて早く帰りたがっていた。ドイチェラントのW杯は終わった。「ドイチェラント!」コールもたまに起こるが、反応がない。中央駅前広場にはアフリカンバンドが出て、何人かは一緒に踊っているが、ほとんどの人は座って見てるだけだ。ドイチェラントが勝ったら、ここは大きなディスコ(クラブ)会場と化していたはずだが、多くの人は踊る気にはなれない。ドイチェラントのW杯は終わりを告げた。イタリアが勝ったことは嬉しいが、フランスW杯で見ることのできなかった開催国優勝という大きな祭りを目撃できなかったことを残念に思う気持ちも半分あり、複雑だ。90年大会に復活したオージンの神は、今回、ドイツには顕現しなかった。しかし、これもW杯なのだ。今まで神はW杯では、最もふさわしいチームに、その栄光を与えてきた。今回のドイツチームはホームという地の利を持ってしてもきっとふさわしくなかったのだろう。
フランクフルトへ帰る電車ではドイツ人たちが、この試合の敗因を冷静に語り合っていた。そして決勝は「イタリア対フランス」という予想に一致している。ドイツ全土を巻き込んだ大きな祭りは終わり、明日からドイツ人はいつもの冷静なドイツ人に戻ることだろう。そのことを残念だと思う一方、これで、明日の準決勝と決勝は相場が安くなりそうだと考える自分もいたのだった(苦笑)

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2006年7月 3日 (月)

7/3、ヒデ、お疲れ様

脳天気にブログの更新をした後に、「中田英寿引退」という日刊スポーツの記事を読んで非常に驚いています。(なんとか彼のHPのメッセージも読めました)きっと日本国内では、もっと大騒ぎでしょう。個人的にはオシムとともに次の南アフリカ大会まで、その経験をアテネ五輪以下の世代にも伝えて欲しかっただけに非常に残念です。(彼のことだから、もう後戻りしないだろうしね)いろいろ他にも彼に対する思いはありますが、それはドイツから帰った後、じっくりまとめてみます。

とにかく、ヒデ、ご苦労様でした。

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7/3滞在記、ケルンにて

観光と奥寺康彦氏の写真を拝みにケルンへと向かった。まずはケルンの大聖堂の中に入る。最初のヨーロッパの旅でバチカンを訪れているため、あの時の圧倒されるような感じまでは受けないが、やはりすばらしい。ここの最高の権威づけは「東方の三人の博士の聖遺物」があることらしい。しかし、その宝物はかなり遠くから眺めるだけだった。そういうものはキリスト教徒でない自分にとってはどうでもいい。権威のある教会には、崇高な宗教心によって生まれた芸術作品がある。これを見るのが異教徒にとっては一番の楽しみだと思う。個人的にはケルンではロホナーの「ケルン市の守護者たち」が良かった。さらに、大聖堂の上まで登ったため、これだけで3時間かかってしまう。
前回、来た時には気がつかなかったが、大聖堂の横には、ケルンのファンフェス兼PV会場があった。しかし、試合がない日で中はガラガラだ。その近くの屋台でも、残っている負けたチームのタオルマフラーを「5ユーロ、セール品」で売っていた。
そこを通り過ぎ、ローマ・ゲルマン博物館へ向かうが、月曜はやってなかった。ローマ帝国時代から、大きな体躯と強靱なフィジカルを持つゲルマン民族はイタリアにとって脅威の民族だった。その歴史はフットボールの世界でも引き継がれていると言えるだろう。ローマ人は、彼らの侵入を防ぐため、ライン川とドナウ川に防衛線を築いた。そのライン川防衛線で最も重要なのが、このケルンなのだ。明日の決戦の場所はドルトムント、ヴェストファーレン。ドイツ国内でアウェイチームに最も圧力をかけるこのスタジアムは、ライン防衛線の外側に位置する。ローマ帝国時代でも完全にアウェイなのだ。この困難な場所でドイツに勝ちW杯をイタリアにもたらせば、リッピはローマ帝国時代のように「ゲルマンを制した皇帝」と呼ばれ、ローマに凱旋することができるはずだ。またリッピはユベントス時代のチャンピオンズリーグ決勝、ミュンヘン(場所は定かではないが、間違いなくドイツ国内でした)でドルトムントに負けた借りを返す時だと心ひそかに思っているだろう。いずれにせよ、イタリアにとっては最も難しい試合になることだけは間違いない。
ケルンのスタジアムへ向かう。やはり月曜は博物館やファンショップは休みのようだ。せっかくなのでスタジアム周辺を歩く。祭りが終わった後のスタジアムは、少しもの悲しいように感じるが、それはきっとビジターである自分だけの思いなのだろう。FIFA関係以外のスタジアムに止まっている車のほとんどには1FCケルンのマスコットやタオルマフラーがあった。W杯が終わっても、彼らとスタジアムにはサポートするクラブが存在する。奥寺氏の写真は拝めなかったが、そのごく当たり前のことを確認できただけでも、来た甲斐が
あったような気がした。

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2006年7月 2日 (日)

7/2滞在記、フランクフルト、今日もぐだぐだ。

昼過ぎに起床。準決勝(2日)と決勝の帰りの電車の座席予約。不動産屋に退去日のメール。友人に頼んでいたPRIDE GPの録画ができなかっため、PRIDE観戦で行ったことのあるスポーツバーに「録画してないでしょうか?」のメールを出す。ネットで日本の動きをざっとチェック。(しかし、流れを見るとオシム新監督誕生へ話題の中心が移ってしまっているようだ。「なぜ日本は負けたのか?」その詳細な原因追及と分析をしないと本当はいけないのだが、それをやると困る人々(特に川淵キャプテン)が、オシムとの契約成立を急いでいるようだ。どうもキャプテンと広報担当の思惑通りに進みそうで、本当にいやな感じだ。もちろん、オシムにオファーを出したことは、珍しく日本サッカー協会がほぼベストなチョイスをしたと思ってはいるのだが..。)所持金がいよいよ少なくなってきたため、今後の日程の計画修正とどのカードにどれだけつぎ込むかの計算。{金銭的理由で3決は行かないことに決定。決勝はおそらく相場はかなり高いだろう。)よほどの幸運(定価で譲ってくれる人に出会うとか)がない限りPVかスポーツバー観戦だろう。となると準決勝の2試合が勝負になる。どちらかと言うと、ミュンヘンよりもヴェストファーレンのスタジアムに入ってみたい願望が強い。これまでブンデスリーガやチャンピオンズリーグをTV観戦してて、個人的にドイツのスタジアムで最も凄みを感じたスタジアムなのだ}。おみやげグッズの数と誰に何をあげるのかをチェック。最後に観光か、それともシャルケ04などのクラブチームの施設やスタジアム博物館などまわるのか、残りの空いた日程でどういう配分にするのかで悩んでるうちに寝てしまう。

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2006年7月 1日 (土)

7/1、滞在記、フランクフルト、ぐだぐだな一日

この日は基本的についてない日だった。

*帰りのハンブルクからの電車、近くに座っていたイタリア人サポが無賃乗車をはかるが、車掌は警察を呼んで対処。その騒ぎで貴重な睡眠時間を削られる。
*さらに同じコンパートメントに座って寝ていたドイツ人にも睡眠妨害を受ける。酔って寝ぼけていたため、何回も席から立っては座ることを繰り返す。ノートPCにも手が伸びて取られそうになる。同じコンパートメントだった日本人カップルは読んでる本やバッグに手を伸ばされて非常に大変そうだった。しかし、単に寝ぼけていて自分のものと勘違いしているだけのようだった。
*到着後、フランクフルト中央駅のマックでブログ更新中に、しつこいロシア人のゲイ二人組にからまれる。従量制の接続料金体系なので、余計に金がかかる。
*着替えがなくなるのでアパート共同の洗濯機を使おうとしたら、一日中、使っている奴がいて、全くできない。アパートの5階から地下1階まで、6,7回は移動するが、全て無駄足になる。
*なんと慣れたはずのフランクフルトで中央駅からスタジアムまでのSバーン電車を乗り間違える。間違えたのは自分の他にブラジル人とフランス人の計3人。中央駅に戻る電車を待つ間、お互いに苦笑いしていた。
*チケット相場が高すぎて買えず。
*アルゼンチンに続き、ブラジルも負けてしまう。
*フランクフルト中央駅のマックでブログ更新用の「チケット相場、ブラジル対フランス」を書いていると、PCの調子が悪くなり作業できなくなってしまった。
*仕方なく、帰ろうとして地下鉄に乗る。しかし、なかなか動かないなと思ったら信号故障で動かなくなってしまう。(30分後には回復したが..。)

レーパーバーンで疫病神でも拾ってきたのか、それとも、だまされたアルゼンチン人に運を吸い取られたのか分からないが、ともかく、ついてない一日だった。

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2006年6月30日 (金)

6/30滞在記、ハンブルク~ベルリン

今日は目覚まし時計を止めずに、予定通り6:00に起きた。本日の予定はベルリンからハンブルクの試合を連続で観戦するという、多少、無謀なものだ。まず6:58発のICE676でハンブルクに向かう。そこでベルリン行きの電車をチェックする。14:08発ハンブルク中央駅発の電車がベルリンの試合開始に間に合う最終だ。そこからまず歓楽街で有名なレーパーバーンへ行く。あのビートルズが初期の初期に演奏してた「カイザーケラー」というクラブを見るためだ。Sバーンの電車では「ドライブ・マイ・カー」を口ずさんでいた。しかし、そこは歓楽街。Sバーンの駅からは歩きで2、3分だが、途中にはHで怪しい店ばかりだ。カイザーケラーに到着、営業は22:00~4:00までで、閉まっていた。表には「ここで初期メンバーだったピート・ベスト、Gハリソン、Jレノン、Pマッカートニーらが演奏した」という看板が掲げてある。そしてクラブの目の前には小さな教会があった。ここにレーパーバーンで働く女達が祈りを捧げに来るのだろう。このクラブで演奏してる時にジョンやポールも祈りを捧げたのだろうか?
せっかく来たので、Hな店も観察することにした。それにしても連れ込みのホテルが多い。ストリップショーなどの店の上は必ず連れ込み宿だ。夜になると娼婦たちが街頭にいっぱい出るらしいが、そのために、これだけホテルの数が多いようだ。おそらく夜の雰囲気は凄そうだが、昼間営業時間外はのんびりしている。今日は、ここで女連れでないイタリアやクロアチアサポが「ハッスル・ハッスル!」するのだろう(笑)
ハンブルクでのもう一つの目的は魚料理を食べることだった。(さすがに肉類には飽きてきていた)「体感マガジン」で紹介していた中央駅側の店を発見したので入ることにする。すると「日本語メニュー」が出てきた。どうやらW杯用に作ったようだ。「ハンブルク風小エビのスープ」と「蒸し魚のマッシュルームクリームソースがけにバターライス付き」を頼む。日本で同じ物を食べたらそう感じないはずだが、魚類に飢えていたので、うまかった。あとはドイツでは、この時期の旬であるアスパラガスを食べるだけになった。あとは節約で食パンもしくは屋台でケバブで十分だ。そしてベルリンへと向かった。

チケットでいろいろあったが、なんとかドイツ対アルゼンチンを観戦できた。金銭的にも、そして延長に入ったことで、ハンブルクへ行っての連続観戦はあきらめる。ブラジル対クロアチア戦の時にも利用したツォー駅そばのファンフェス会場横のイタリアンへ向かう。ファンフェス会場は、ドイツ人でいっぱいだ。ドイツ国旗を掲げた車もいっぱい出ている。「イタリア対クロアチア」観戦後、その騒ぎはまだ続いていた(苦笑)。「ドイチェラント!、ドイチェラント!」の合唱が、どこからともなくわき上がる。未成年たちもビール瓶片手に踊っていた。空になったビール瓶は地面に叩きつける。その割れる音もあちこちで聞こえる。この勝利の宴がどこまで続くのか見届けたい気持ちだったが、ハンブルクへと向かった。帰りの電車の予約がベルリンからは取れなかったのだ。しかし、帰りのハンブルク行きの電車の中でも、若者たちも「ドイチェラント、ドイチェラント!アディオス、アルゼンティーナ!」のコールはやむことはなかった。車掌も含め大人たちはそれを微笑ましくみてるだけだった。

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2006年6月29日 (木)

6/29滞在記、ハイデルベルク観光

単なる気合いの入ってない観光記録です。興味のない人は読み飛ばしてください。

ハイデルベルクに14:00頃到着した。ゲーテやショパンも愛したという有名な「哲学者の道」で日本サッカーのあり方でも哲学しようかと思ったが、そこへ行くシュランゲン小路の坂が急すぎて、哲学どころではなかった(苦笑)。哲学者の道から眺める城と旧市街は確かにきれいだが、おそらく紅葉の時はもっときれいだろう。特に夕方はまあまあの雰囲気だったように思う。
結局、疲れて哲学者の道とハイデルベルク城のみの観光に終わる。城の大樽ではワインの試飲もできるということだったが、あまり気軽に試飲できるような雰囲気ではなく残念だった。
それにしても韓国人と中国人の数が多い。特に韓国人はこの日限りでは日本人の3倍ぐらいいたように思う。日本との休みの時期の違いもあるだろうが、初めて行ったイタリアや8年前のフランスでも、そんなに数は多くなった記憶がある。意外な所で、両国の経済発展を感じたところである。
ハイデルベルクは、自分にとっては普通よりちょっといいかなというぐらいだった。他に気になる所では、ローテンブルク、シュバインシュタイガーに似た名前の城、ドレスデン、ベルリン、ハンブルクにあるというビートルズゆかりのバーなどぐらいだろうか。元々、ドイツ自体にそんなに興味がなかったせいもあり、観光の方には気合いが入ってないのだ。

明日は「まずハンブルクに行き、魚料理を食べてからベルリンの試合見る。それからハンブルクに戻って後半からでも見れたらいいな」という多少無謀な計画を立てている。
元々、ハンブルクは開幕2日目のアルゼンチン対コート・ジボワールに行く予定だった。しかし、その日はまだドイツに慣れてなくて断念した。あとは見たいカードがイタリア対チェコしかなく、しかもその日は日本対ブラジルと重なっていたのだ。そしてハンブルク最後の開催試合は準々決勝のイタリア対クロアチアだ。しかし、そのカードより間違いなく優勝経験国同士のドイツ対アルゼンチンの方がいい試合になりそうな予感がしてならない。さて、このW杯れんちゃん計画はうまく行くかどうか..。ベルリンの試合が延長に入ったら、断念せざるを得ないだろう。ということで、今日は早く寝ます。

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2006年6月28日 (水)

6/28、休養日

ハノーファーより、朝の5時頃到着。寝て起きたら、昼過ぎだ。少し雑用をこなして、休養日にする。働きすぎた週の日曜日のような過ごし方だ。まあ、また明日から活動します。

とりあえず、6/23~6/27までの写真をUPしてます。良かったら見てください。(たいした写真はないですが..)

それでは。

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2006年6月27日 (火)

6/27滞在記、ハノーファー

現金の方がなくなってきたので、アメックスのフランクフルト事務所に両替に行く。節約してるつもりだが、どうしてもチケ代がかかるので、金がなくなるのが早くなっている。アメックス事務所からの帰りのトラムで初めての検札に遭遇。幸い乗車券はきっちり買っていたので、事なきを得る。
ハノーファーに到着し、まずは帰りの電車を再度調べる。臨時便は出てないようだ。3日前に取れなかった1:20発のIC2671にダメもとで予約かけてみると、今度はすんなり取ることができた。キャンセルが出たのか、それとも車両を増設したのか分からないが、これで無事座って帰れることになった。中央駅構内のカフェ兼レストランみたいな所で、夕食を取りながらブラジル対ガーナを見る。かなりガーナは健闘したと思うが、ブラジルとの決定力の差を見せ付けられてスコア的には完敗になってしまった。

チケットの方は予定の予算より安く手に入れることができた。ここまではすごく快調だったが、手に入れた席がほぼピッチレベルの高さで、素人の目では、全体を把握することは難しかった。(値段がついてないチケットだったので、おそらく招待券でかなりいい席だと思いこんでいたのだ)それは記者席に入れなかったジャーナリスト用に割り当てたチケットだった。しかし、ここで記事を書けというのはかなり厳しいだろう。前の席を割り当てられたフランス人ジャーナリスト達は、そこの席を捨て、もっと高い場所へ移動していった。(近くに来た選手はかなりよく見えるので、ミーハーにはいい席だろう)。8年前、サンドニで見たフランス対サウジもカテ4のフランス側ゴール裏で展開が全く見えず愕然としたことを思い出す。(雰囲気は非常に良かったのだが)どうやら、フランスの試合は展開が見えない席で観戦する運命にあるらしい(苦笑)まあ、アンリのドリブルや、ジダンのゴールが目の前で見れただけでも良かったのだろうが..。どうやら修業がまだまだ足りないようだ。
次は本当にジダンのラストゲームになるのだろうか?その時、チケを手に入れられたら、3度目は失敗しないように心に誓ったのだった。

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2006年6月26日 (月)

6/26滞在記、カイザースラウテルン

試合開始1時間前にカイザースラウテルン中央駅に到着。チケは結構ありそうだが、結局、開始40分前に200でカテ1バックスタンドを買って、入場を急ぐ。カイザーはレッドゾーンは、すぐ入場できるが、他はぐるぐる坂道を歩かされるので、結構時間がかかる。席は前の方。今日はイタリア戦ということで、ミーハー気分がかなり入ってる自分にとってはゴール前の攻防が堪能できるいい席だった。帰りはオフィシャルファンショップで本日のマッチデーTシャツを買う(20ユーロ、高っ!あの日本戦の記憶があるので、開催地Tシャツは着たくないのだ)
帰りは大混雑したが、とりあえず電車の便がいいマンハイムまで出ることにする。日本戦ではICEのフランクフルトの臨時便が出てい。もし今日も臨時便があれば、それが良かったのだが、残念ながら出ていない。フランクフルトからそんなに遠くないのだが、カイザースラウテルンは、小さな町だけに結構大変に感じる。
マンハイム中央駅構内で、ハンバーガーをかじりながらスイス対ウクライナを観戦。試合は消耗戦になり、PK戦まで行った。終了が23:40、予定していたフランクフルト中央駅行きが23:52で、ぴったりの時間になってしまった。これで、今晩はベッドで長い時間眠ることができる。
5連続遠征もあと1日。明日はハノーファーにする。ガーナは、どことやっても一発かますだけの潜在能力はあるが、エッシェン抜きでブラジル相手では、その可能性はほとんどないような気がする。それよりもやはりスペイン対フランスだ。果たしてジダンのラストダンスになるのだろうか?

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2006年6月25日 (日)

6/25滞在記、ニュルンベルク

この日もライプツィヒから早朝にフランクフルト中央駅に帰り着いた。帰りの電車は予約できなかったので、かなり心配だったが、臨時列車が2本ほど出ていたので、余裕で座れる状態だった。この調子だと予約できなかった6/27も大丈夫かなとも思う。この辺、DBは気が利いているように思う。
11:00に起床するつもりが、起きたのは13:30だった(苦笑)。どうやら体は疲れているらしい。ぎりぎり17:00前にニュルンベルクに着く列車に間に合う。ニュルンベルクは2回目なので、ことがすんなり運んでいった。
旧市街のカフェでイングランド対エクアドルを観戦し、日本語メニューのあるレストランで、夕食にフランケン地方の各種ソーセージ盛り合わせを選ぶ。チケットを当初の予算よりはかなり低い額で手に入れ、試合開始前に席につく。ゴール裏だが、上部のせり出したスタンドで思ったより見やすい。前回もそうだったが、ニュルンベルクではすべてがスムーズに行った。それぞれの開催地で個人的に相性があるように思う。フランス大会の時は、モンペリエでは、すべての物事がうまくいった。どうやら自分はニュルンベルクとは相性がいいのかもしれない。

しかし試合の方は、前回の日本対クロアチアの後と同じように煮えきれない想いを抱えることになった。決勝T1回戦の組み合わせが決まった時、ポルトガル対オランダが全8試合の中で1,2の好カードだと思っていた。両チームともきれいなパス回しを中心とした攻撃サッカーが特徴だ。かなりの名勝負になると期待値も高かった。(私は、86年メキシコ大会の「ブラジル対フランス」を見て、W杯の凄さに気がついた。その試合の後、「W杯は必ずTVで見る」と決意したのだ)
しかし、オランダのスタメンを見て、ファンニステルローイとファンデルファールトがおらず、まずは守備的な入り方をしたのにがっくりくる。(チーム事情は分からないが)マニシェのゴールは見事だったが、いる方とは反対側のゴールだった。そして前半終了間際のコスティーニャの退場でいやな予感は増幅。後半はカードが乱れ飛んだ。審判が試合をコントロールできていない。退場者は合計4人、イエローの数は途中で数えるのをやめてしまった。W杯の決勝トーナメントで、ここまで荒れたゲームも珍しいだろう。会場の雰囲気も、カードが出るたび選手達がもめるたび異様な意味で盛り上がっていた。勝った後は、ポルトガルの選手もサポも大喜びだったが、期待が大きかった分、がっくりくる反動も大きい。(あの負け方で、オランダサポが暴動を起こすかとも思ったが、それはなかったので良かったが..。)
どうやらニュルンベルクでは物事はスムーズに進むが、肝心の試合の方はダメらしい。

明日は2度目のカイザースラウテルンに行く予定。明日こそいいゲームが見たいものだ。

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2006年6月24日 (土)

6/24滞在記、ライプツィヒ、アルゼンチン対メキシコ

ハノーファーから夜行ICEにて4時間かけてフランクフルトに早朝戻る。中央駅構内のマクドナルドにてブログの記事をいくつか更新。アパートに帰りシャワーを浴び、2時間ほど仮眠した後、再びライプツィヒ行きの電車に乗る。約3時間の電車の中で、ブログ2本分をまとめたところでライプツィヒに到着。(しかし時間厳守で毎日原稿を送っている記者は大変ですね。仕事か、もしくは好きでなかったら、とてもできません、この生活)

16:40到着予定が30分ほど遅れた。ホームに到着し、帰りの電車のチェックをしてると大歓声が起こる。ドイツ人たちが大喜びしている。ドイツの2点目だ。それぞれ駅で「アルゼンチーナ!」「メヒコ!」と叫んでいたサポたちも、その歓声を聞きホーム階下のカフェのTVを見るために殺到する。駅構内では、ドイツサポたちが大勢いた。ライプツィヒのPV会場に来たけれど、入場制限で入れなかった人が駅構内にかなりいた。カフェのTVはドイツ人の老若男女と両国サポの他に、さまざまな人種が一つのボールを見つめていた。ドイツ人たちは、一つ一つのプレーについて、いろいろ語りながら試合の行方を見つめている。
日本でこういう光景を見たのは最近では野球のWBCの決勝だった。ふと入った定食屋でこういう風景に遭遇したことを思い出す。その時も(世代的に圧倒的に野球の方が詳しい中年以上の大人が中心だが)、老若男女が王ジャパンとキューバの決勝を一球一球見つめていた。このW杯、日本ではどういう光景が繰り広げられたのだろうか?
展開もはっきり見れる場所を探して駅構内を歩く。どの店もちゃんとした椅子にすわることが難しい。席に座れなかった人々はフロアに座り込んで見ていた。ちょうど一人分のスペースがあったので、そこに潜り込む。横はちょうどドイツ人の親子3人組、年は20代後半から30代前半ぐらいだろう。キャリーバック1個にサポーター道具をいっぱい詰め込んでPV会場まで来たが、入れなかったようだ。親父がやけに気合いが入っている。例えるなら休日に、阪神戦を見に来たが、チケ売り切れで入れなくて、近くの店で阪神ファンがいっぱいの店で大声をあげて応援してるような感じだろうか..。嫁さんと子供そっちのけで、ワンプレーごとに一喜一憂している(苦笑)。ドイツのゴールシーンがVTRで流れるたびに歓声をあげ、一人でもかまわず「ドイチェラント!」コールを始める。ドイツが得点した時のこの親父の反応が見れなかったことが残念だ。後半からは高原レプリカを着てでかいカメラを持った日本人がTVを横から眺め始める。ジャーナリストか、おそらくブログのネタにでもするのだろう。このドイツ人たちの反応をカメラに納める。TV画面とドイツ人たちを交互に見ながら、シャッターチャンスを伺っている。しかし、後半、彼が待ち望んでいたドイツのゴールは訪れなかった。この試合、ドイツはいい出来だった。昔(といっても90年のW杯の印象だが)のドイツを少しだけ思い起こさせた。ドイツ代表はホームの利を最大限生かしているように見える。

スタジアム付近で試合開始まで粘ったが、予算より高くて買うことができず。近くの体育館のカフェで試合を見る。最初は立見だったが、ハーフタイムに別の店から椅子を持ち込み、あとは座って見ることができた。
8年前に見てから、メキシコのファンになった。体格が似通っている分、日本サッカーの今後にいくつも大きなヒントを与えてくれるのがメキシコだ。8年前、エルナンデス、ブランコの個性あふれる2トップに左サイドのRラミレスがからむ攻撃は見事だった。韓国をぼこぼこにし、オランダ(フランス大会では個人的にベストチームだと思ってます)相手にロスタイムの同点ゴールを決めて引き分けに持ち込み、グループリーグを突破した。決勝T1回戦でドイツに1-2で破れたが、あの時のチームは、どことやっても何かを引き起こしそうなチームだった。だから ニュルンベルクでのメキシコ対イラン戦は見たかったのだ。しかし、今大会の出来を見る限り、アルゼンチン相手に何かを起こすのは難しいように思えた。それでも、地元のドイツ戦ではなく、こっちのカードを選んだのは、応援が独特で楽しいのと、15~19歳ぐらいの女の子(20代に入るとラテン系は結構、どぎつくなる女性が多いですね。あくまで私見ですが)サポが可愛い。これが一番大きかった(苦笑)
メキシコの応援を楽しむためにはまずサポも全員胸に手を当て合唱する国歌演奏からみるべきだろう。それとシェリト・リンドの歌とパラ「チキティブン・アラ・ビンボンバン、チキティブン・アラ・ビンボンバン、アラビオ・アラバオ・ビンボンバン、メヒコ、メヒコ、ラ!、ラ!、ラ!」(独特の呪文のような応援)が中心だ。しかし、国歌演奏シーンとパラのフルバージョンが聞けなかったのが非常に残念だった。現在のメキシコの応援は別のフレーズが中心のようだ。発音はよく分からないが、「どうして、こうして、こんなの、Baby!」フレーズが続くような感じだ(全くニュアンスが伝わらないと思うが..)。パラは不完全バージョンながら、ドイツ人が知ってて、彼らが号令をかけるという変な構造だった(苦笑)。後藤健生さんの本によると「パラ!」は86年メキシコW杯時に街中で何度も大合唱になったらしい。かなり歴史があるものだが、さすがにメキシコ人も飽きたのだろうか(苦笑)
試合は、メキシコが意地を見せて延長まで持ち込み、アルゼンチンを苦しめた。さすがに負けた後では、メキシカン達も、いつも通りの明るさは維持できないでいた。
メキシコは、今回もベスト16の壁を破れず、サプライズを起こすことはできなかった。体格的な面でのハンデとメキシコリーグが比較的裕福なため、海外に選手が出て行きにくいというJリーグと同じ問題を抱えている。これらを克服してメキシコが頂点に立つ日は来るのだろうか?彼らの課題と対策は日本と共通のものが多いだけに、これからも注目していくつもりだ。

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2006年6月23日 (金)

6/23滞在記、ハノーファー

点滴が無事に効いたので、ハノーファーへ向かう。これから恐怖の5遠征が始まる。まだ腹は完璧ではないので、無理はしないつもりだ。ハノーファー中央駅のカフェでウクライナ対チュニジアをTV観戦してると駅構内で「コレア!、コレア!」と叫びながら韓国サポ軍団が通り過ぎる。「あいつらドイツ用に自分の国の呼び方を変えてるのか?」と思ったが、よく見たら純粋な韓国人は一人もいなかった。(苦笑)どうやらドイツ人を中心に、この2試合で韓国サッカーのファンになった人々らしかった。これだけでも、今回、韓国代表は魅力的なサッカーを展開してることを証明する出来事だったように思う。ウクライナ戦終了後には、彼らも韓国人サポと合流、いつもの「テーハッミング!」のコールに変わった。スタジアムへは国歌演奏直前に滑り込む。両国の色が赤なため、スタジアムは赤に染まっている。区別は韓国国旗とスイス国旗でしか区別するしかない(苦笑)。よく見ると8割か7割はスイスサポのようだ。プレーオフの対トルコ戦で見たが、スイス国旗が大量に揺れる様は非常に美しい。試合はスイスが見事な試合運びでグループリーグ1位通過を決めた。「スウィツランジ!(語学に関して耳はあまり良くないのでこう聞こえます)」の大合唱が起こる。試合終了後、スイス代表がサポに対して合図する。選手とサポの掛け合いが始まる。どうやら「スイス式万歳三唱」のようだ。万歳三唱はスタジアムの3カ所で行われた。8年前にヨーロッパのチームを観戦した時もあったが、これは代表でもやった方が盛り上がるだろう。(まあ、重要な試合に勝った時だけでいいけどね。しかし、今回の代表で、これを率先してやりそうな選手はいない。こういう時、ゴン中山のような選手も必要だと思う)試合終了20分経過してもスイスサポは半分以上残って「スウィツランジ!」を合唱していた。中央駅への帰り道では韓国の民族衣装を着た人々が太鼓をたたいて踊っている。立派に戦った韓国サポに対しても、スイスサポ、ドイツ人の両方から拍手が起こっている。帰りの電車ははフランクフルト中央駅経由スイス・バーゼル行き。疲れ果てた韓国人を気遣ってか、スイス人たちも結構静かにしていた。イングランド人ほど傍若無人ではない。6/26、彼らはまたケルンにやってくるだろう、大量の赤いスイス国旗を携えて。

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2006年6月22日 (木)

6/22滞在記2、ドルトムント行きを断念..。

ドルトムントへ向かうICE乗車10分後、猛烈な寒気が襲ってくる。他の人が半袖一枚なのに、自分はトレーナーなど着込んでいて寒いのだから、間違いなく熱があるらしい。悪寒がしてしょうがないため泣く泣くドルトムント行きを断念、ケルンで途中下車してフランクフルトに戻り医者に行くことにする。
フランクフルト中央駅でカード会社の海外トラベルデスクに電話、紹介してもらった日本人の女医さんの所へTAXIをとばした。フランクフルト日本人学校の近くの病院でTAXIで11ユーロほどかかる。結構、ドイツ人の