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2008年2月22日 (金)

リティ・アビスパ総括、日本サッカーとドイツサッカー、そのコードの違い

・チームとしてどのように戦うかという「タクティカル・ディシプリン」、戦術的共通理解が構築されなかった

・グループ戦術で何度かはボールを奪えるかもしれないが、基本は1対1で負けないこと」と話し、練習でも「ボディ、ボディ」と激しくチャージしてボールを奪えと繰り返すのみ。相手にボールが渡ったら、誰がどのポジションをとってどう追い込むのか、マークの受け渡しなど最終ラインはどう対応するのか、という約束事がしっかりできていなければ、組織的な守備はできない。
・シーズン通算失点は107点(1試合平均2.05点)にのぼった。試合の後半から終盤にかけて失点も目立った。61分から終了までの時間帯に失った点がサントリーでは全54点のうち24点、ニコスではさらに悪くなって全53失点のうち、総半分の26点。終盤になると集中力が途切れるなど、体力面に課題があった。

これは、もちろんリティ・アビスパ2007のことではない。Jリーグ公式記録(1995年)よりの抜粋だ。書かれているのは、ヘルト監督率いるガンバ大阪だ。(ヘルト監督は、W杯にも2度出場し、指導者としては、ブンデスリーガで降格の危機にあったドレスデンを残留させ、アイスランド代表を強化するなど、再建屋として期待されていた)
だが文章を読むだけで、リティ・アビスパ2007に「似ている」と感じる方は多いように思う。
その冒頭の文章を借りれば
「失望-。アビスパ福岡の2007年は、このひとことに尽きるシーズンであった」のだ。

ただし、当時のヘルトは、現在のリティ(ブンデスリーガでは監督経験がない)と違って、ドイツでは有能と思われていたのは間違いないだろう。しかし、そのヘルトもリティと同じような失敗をした。そこにはドイツサッカーと日本サッカーの「違い」が原因としてあるように思う。
トルシエはナンバーのインタビューで「それぞれの国には固有の社会的・文化的コード(規範)があり、サッカーにはサッカー独自の規律や規範がある。監督はその両方-サッカーの規範に基づく監督自身の経験・知識と、受け入れる国のコードのバランスを保たねばならない」と答えている。リティはともかく(苦笑)、ヘルトの場合は、日本という国のコードのバランスを保つことができなかったことがあるかもしれない。逆に言えば、全ての外国人監督が日本で(Jリーグで)成功するためには、「日本という国のコード」を理解してバランスを取る必要があるのだろう。

もちろん全てのドイツ人監督が日本に適応できなかった訳ではない。その代表例は、やはりデットマール・クラマーだろう。そのクラマーについて岡野俊一郎(元・日本サッカー協会会長)は「クラマーさんは日本にドイツサッカーを教えた訳じゃない。100年たっても変わらないサッカーの基本を教えたんだ」と答えている。
またクラマーも「日本で最初にやったことは、日本のサッカーを勉強し、観察し、研究すること。ドイツのサッカーを日本にそのまま持ち込んでも、それはコピー、二番煎じに過ぎない。日本のサッカーを研究し、日本のサッカーのためのトレーニング方法をつくった。私が当時行ったトレーニングはドイツ流ではなく、あくまで日本流のトレーニングだった」答えている。クラマーさんも、ドイツサッカーを、そのまま持ち込んだ訳ではないのだ。

それでは、ドイツサッカーには、どんなコードがあるのだろうか?
サッカー批評NO21(2004年)の特集「ドイツサッカーが教えてくれた」より、そのコードを見てみたい。

尾崎加寿夫
・1対1の戦いが11カ所で行われる。そのうち7カ所とか8カ所で相手に勝てれば試合にも勝てる。それがドイツの理論というか、考え方です。だから相手がどんなに強かろうが、激しかろうが、立ち向かっていき局面で勝つ。そしてチームも勝つ。それがドイツサッカーの根本的な考え方です。そのベースには身体的な強さとかメンタルのタフさとか国民性がある

奥寺康彦
・守りに関しては最終ラインの強固で激しいマークでがっちり迎える。
・名将と言われたバイスバイラーだが、意外なことに細かい戦術の話はほとんどしなかった。もちろん敵チームを分析し各人に任務を与えることはする。だがそれはどの試合も似たようなもので、相手ごとに猫の目のように変わることはなかった。だからミーティングなんて、いつも20分程度で終わっていた。
・それでも高いレベルのプレーができたのは、当時のドイツではポジションごとに
役割ややるべきことがはっきり区切られており、それを若年期から叩き込まれていたせいだった。
・その頃のブンデスリーガは多少の人数の違いこそあれ、どのチームも似たようなサッカーをしていた。だからといって膠着した試合ばかりだったといえば、
そうではない。
・そこで個人差が出てくる。パスで突破したり、相手を抜き去ったり。
あとはグループでの局面打開のオプションの豊富さ、正確さの違いもあるし。
いい選手、いいオプションのある選手が勝っていく。
・ドイツ人は全く違ったスタイルの戦術を取り入れることに興味がない
・マンマークが伝統のブンデスリーガにゾーンディフェンスだけで守る革新的なチームとしてヘルタ・ベルリン、ブレーメンが登場した。ゾーンディフェンスの概念は、この頃のクリマショフスキ、レーハーゲルらによって持ち込まれた。
・ドイツの守備的な選手は幼い頃からマンマークのみを叩き込まれているから、
なかなかレーハーゲルの要求を満たすことができなかった。
・しかし、このブレーメンでも最終ラインは、マンマークで守っていた。
ストッパー二人が相手の2トップを徹底マークし、
その後方にスイーパーが控えるというドイツ伝統の3バックの守り方だった。
・僕がいた9年間でドイツサッカーの根幹はあまり変わってない。そして今でも、そう大差ないと思う。
・「ドイツのサッカーは世界の潮流から取り残されている」と言われるが、
奥寺に言わせれば「はじめから彼らに追いかけるつもりはない」
・ドイツサッカーが古くなったからじゃなくて、ドイツ的なサッカーをやれる人材の育成プログラムが古くなっただけなんだよ。だからいいストッパーが育ち、スタミナとスピードを併せ持ったウィングバックが出てくれば、
これまで3-5-2で十分結果を残せると思う。

特に尾崎加寿夫の「1対1の戦いが11カ所で行われる。そのうち7カ所とか8カ所で相手に勝てれば試合にも勝てる。それがドイツの理論というか、考え方です。だから相手がどんなに強かろうが、激しかろうが、立ち向かっていき局面で勝つ。そしてチームも勝つ。それがドイツサッカーの根本的な考え方です。そのベースには身体的な強さとかメンタルのタフさとか国民性がある」、ここにドイツサッカー固有のコードが強く現れているように思えるのだ。リティもヘルトも、とにかく「1対1で勝つ」ことを求めていた。リティ・アビスパ2007の特徴は「1対1で7、8割勝てる下位チーム相手には滅法強く、互角か、やや上の相手には、全く歯が立たなかった」ということだろう。
トルシエは日本固有のコードとして「規律が行き届いた日本社会では、すべてが組織的である。選手も例外ではなく、コレクティブな枠組みの中で常に動く。日本ではサッカーはコレクティブなスポーツであり、選手は与えられた役割を遵守し監督を尊重する」としている。つまり他のJ2上位チームはコレクティブなサッカーをしていたのだろう。「個人能力がほぼ同じであれば1対1に頼ったサッカーよりも、コレクティブなサッカーの方が上回る」ということを1995年のヘルト・ガンバもリティ・アビスパ2007も証明したに過ぎない。そんな気がしている。つまりドイツサッカーを、そのまま日本に持ち込んでも成功する訳がないのだ。

そのことはドイツへのコーチ留学を経験した岡田武史も示唆している。
・90年代、ドイツにコーチ留学に行ってみると、「あれ、これちょっと古いんじゃないか」と(笑)、このままじゃドイツサッカーまずいなというのを感じた。
・まず練習が全然科学的じゃない。経験主義に基づいた昔からのトレーニングを
そのまま行っているという感じだった。フィジコもGKコーチも置かない。
・戦術練習にしても、ミーティングでは「どの選手がどの選手をカバーしろ」と
いうことは言うけれど、コンビネーションについての確認事項もないし、
練習もしなかった。シュート練習、ボール回し、それにゲーム。毎日それだけ。
・結局、サッカーなんて所詮は選手がやるものなんだから、
監督は選手とのコミュニケーションだけしっかりとって、あとはコンビネーションだけ
考えればいいと思われていたのかもしれない。
・ドイツから直接的な影響は受けてない

ドイツ留学までした岡田武史が、最終的に影響を受けているのは、アンチェロッティやリッピなどイタリアの監督達だ。また同じような例としては三浦俊也監督も挙げられるだろう。三浦俊也はケルン体育大学に留学(その当時の1FCケルンのスター選手はリティだったようだ)してドイツのA級ライセンスを取っている。しかし、そのサッカーを見る限り非常にイタリア的だ。間違ってもドイツ的な要素を見ることはできないだろう。そして、イタリア的なサッカーで、アビスパより戦力が劣る札幌をJ1に昇格させた。
もちろんイタリアサッカーと日本サッカーのコード自体は違うだろう。だが、ドイツサッカーよりはるかに参考になる部分が多いことは、この二人の有能な監督を見れば、明かであるような気がしている。

つまり2007年当時のリティよりは、日本に限っては(結果を残すことに関して)三浦俊也や岡田武史の方が優秀であることは間違いないと思う。トルシエも「能力が同等ならば、日本人監督の方が日本では適している。言葉に問題がなく、選手とより近い距離で接することができる」とし「(外国人監督が)日本人のメンタリティを理解し、日本に慣れるまでには時間がかかる」と答えている。ヘルトは、ひょっとしたら、「日本に慣れるまでに時間がかかるタイプの監督」であったのかもしれない。
しかしリティには、その言い訳は通用しない。リティの日本での経歴を見れば、「日本に慣れるまでの時間」が十分にあったたことが分かるだろう。

つまり2007年のリティは「自身の持つ経験・知識と、Jリーグ固有のコードのバランスを保つことができず。ドイツ的サッカーを前面に押し出して失敗した」と言えるかもしれない。さらにリティには、「Jリーグ固有のコードを理解する能力に欠けていたのではないか?」という大きな疑問も残っている。

その答えは、リティ・アビスパ2008を見れば、明らかになるはずだ。

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