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2007年9月14日 (金)

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を見てのメモ

「新世紀エヴァンゲリオン」ではなく「ヱヴァンゲリヲン」という新しい物語の始まり
(ネタばれの部分も含んでいると思います)

2007年9月

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
EVANGELION:1.0  YOU ARE (NOT) ALONE.

とりあえずWIKI:新劇場版
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B1%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%B2%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88

新世紀ヱヴァンゲリオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3

総監督:庵野秀明 所信表明文
http://eva.yahoo.co.jp/gekijou/big_message.html

メモ

・まずは作画のクオリティの高さと進歩を確認。1995年のTVシリーズにおいては、予算と時間の制限の中で精一杯のクオリティを達成していたエヴァ。だがエヴァの成功により、おそらく今回の新劇場版(2007年)では、予算の面で新たな大スポンサーの獲得したことで格段の差があるはずだ。またアニメ作画の技術の進歩もあるだろう。(技術面では詳しいことは分からない。なにせアニメはエヴァ以降、ほとんど見てないのだ)。おそらく、大幅に増えた予算と最新技術をふんだんに使った上で、この新劇場版は作成された。その違いは映画館で一目見ただけで分かるだろう。(なお詳しい事は、映画館でパンフを買えば載っている)
・パンフでは「REBUILD」という表現で、今回のヱヴァについて語っている。技術的なことは良く分からない。だが予算と制作時間の問題でTVシリーズでは表現しきれなかった細かいディテールが、今回は加えられていることが、深みをもたらしていることは間違いないだろう。(作画と音響に関する拘りを感じる)
例えるならミュージシャンが初期の頃世に出した楽曲を、後年、リメイクすることに似てるようにも思える。初期の頃には、プロデューサーやレコード会社(今は呼び方が違うのかな?)との力関係、または自身の経験&力不足のため、楽曲において100%、自分のイメージを音として反映させることは難しい。しかし、実績を残し経験を積んだ後で、初期の作品を再びイメージ通りの作品に生まれかわらせたいとの願望を持つようだ。今回のヱヴァでは、庵野監督のそういう執念も感じることができるように思う。そのことは、今回のヱヴァが偉大な作品であるかどうかにとっては必要な条件だろう。だが、十分な条件を満たしているわけではない。

・1995年の段階で庵野秀明監督は、既にアニメ界においては「ナディア」などの成功により、その名は轟いていた。(個人的には全く知らなかったのだが)。だが彼の名がアニメ界を突き抜けて世間に届いたのはエヴァの成功によるものだった。その成功がその後の彼の仕事をやりやすくしたことは間違いないだろう。今回のヱヴァでは、豊富な予算がついた。だが彼に求められる要求も格段に上がっている。10年ほど前に一度見た物語を「なぜ今やるのか?」。そのこと対する客の要求と動員数の実績、その二つに対して同時に結果を出さなければいけない状況にあるだろう。スポンサーの要求も厳しいものであると思う。
強引にサッカーに例えるならば、中堅クラブで素晴らしい結果を出した監督がレアル・マドリードやバルセロナ、ミランなどのビッグクラブへ引き抜かれた。ビッグクラブでは手元に置ける選手の質も格段に違う。そして予算の違いにより、理想とするサッカーをやるにふさわしい高価な選手もある程度は引っ張ってこれるという状況もある。だが、その充実したサポートの裏には、何よりも「結果と内容」を求められる。中堅クラブで残した結果と内容と同じでは決してフロントもサポーターも満足はしない。前チームで残したものを越える事によってのみ初めて評価されるだろう。庵野監督は、そういうプレッシャーも抱えながら、この新劇場版を創っていることと思う。

・物語は1995年のエヴァと同じように始まる。だが「序」の序盤はTVシリーズとはリズムが違った。TVシリーズにおいて丁寧に「なぞ」が織り込まれ、さらにコミカルな面も見せながら展開されていた物語は、「劇場版」という新しい物語に合わせてリ・パッケージされると共に物語のリズムを変えた。その最も大きな要員は時間的な制約だ。その制約下で起こった必然的な「説明の多さ」はある意味仕方のないものなのかもしれない。

・声優も当時のTVシリーズと同じである。一つ気になったのは、葛城ミサト役の声優さんの声に「年を取ったこと」を感じたことだろうか。まあ、これはほんのささいな違いで、そう問題がある訳ではない(苦笑)

・TVシリーズとの一番の大きな違いは、碇シンジと葛城ミサトのキャラクター設定が違うということだろう。「序」で見る限り、ささいなディテールの違いであるが、後々、大きな結果の違いをもたらすディテールだ。
今回のミサトは、ある意味、秘密の多くの部分を知った上で行動している。そのことと、この段階におけるシンジ君との関係性も若干違ってきてるようだ。それは「破」で明らかになるだろう。
TVシリーズでのシンジ君は、非常にナイーブで無知だった。今回のシンジ君は、それよりははるかに「したたか&分析能力が上な」設定になっているように思う。(その伏線として、今のところ気が付いたのは、「ミサトからの説教部分での飲み物の存在」とその和解の後「ミサトの手を握り返している(逆かどうかは確認できなかった)」点だ。庵野監督はシンジ君と似ているそうだが、当時に比べて庵野監督も結婚し年齢を重ねたことで間違いなくタフになっているに違いない。そのことが今回のシンジ君のキャラ変更に少なからず影響を及ぼしていることは間違いないだろう。
おそらく伏線となるべき点は、自分が気が付かなかった点でも一杯あるはずだ。それは「破」を見た後に、再度「序」を見ることで気が付くように思う。

・宇多田ヒカルの歌は、十分にヱヴァに合っていた。映画館を出た後も、その歌はしばらく頭の中を離れなかった。

・予告編で分かるように、「破」では大幅にストーリーが変わっていく。客の立場としては誰も見たことのなかった「ヱヴァンゲリヲン」として物語は展開していくだろう。この新劇場版の全4つの作品を見終わらない限り「ヱヴァ」の評価はできない。
前回の劇場版を含んだ「新世紀エヴァンゲリオン」は、その時代性とシンクロしたことで大ヒットを生み出した。その上で、今でも十分価値を持っている。エヴァは時間の経過をも越えた作品だった。アニメ界においての古典の位置をも獲得したと言っていいだろう。いわゆるエヴァに関わった全ての人に対してある意味幸福な作品だった。
今回の「ヱヴァンゲリヲン」が、どういう評価を受けるのかは全く分からない。
ヱヴァは
1:時代性とも合わず時間の経過にも耐えきれない
2:時代性には合わなかったが、逆に10年後に評価が逆に上がっている
3:時代性と合ったが、逆に年月の経過には耐えられない
4:時代性と合い、さらに年月の経過にも耐える古典の性格を持つが、エヴァンゲリオンを越えることができなかった
5:時代性と合い、年月の経過にも耐える。さらにエヴァンゲリオンを越える

4つの作品全てが終わった時、おそらくいずれかの評価が下されるだろう。個人的には先に出した「エヴァンゲリオン」を越えることは、かなり難しいと考えている。だが、この困難な仕事を庵野監督ならやってのけるのではないかと期待している自分もいる。結論としては、どういう結論が待ってるにせよ、そのドタバタ振りを堪能したいのであれば、今回の「序」は「迷わず行けよ。行けば分かるさ」という気分なのだ。

・最後に、TVシリーズのエヴァを見てない人は、この新劇場版を見て、どう感じたのかは非常に興味がある。知らなかった過去には決して戻れないから...。

なお、伏線になりそうな「ディテールの違い」に関して、他のサイトを見て気が付けば、書き加えていく予定です。

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