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2007年7月16日 (月)

アビスパフロントが読むべき「GM考察」記事まとめ

サッカー批評33号(2006年)に、加部究氏の「GM考察」という記事がある。第1章と第2章と別れていて、第1章は今西和男氏へのインタビュー。第2章は加部氏のGM考察だが、特に第1章は参考になるので簡単にまとめてみた。特に小林統括に読んでもらいたいと思っている。

・今西がGM(当時、そういう発想はなかったようだが)という仕事を始めた時は「アマチュアからセミプロ、さらにプロへ」と移り変わっていこうとする時代
・当時のマツダはあくまでアマチュアを貫いていた。当時のJSLの主要な選手供給源は大学。他のチームはお金は出さなくても車や高価な電器製品を与えて選手を獲得していた。選手の質に差ができ1対1では勝てなくなり、チームの成績も下がっていった
・1対1で勝てない以上、「戦術で勝負」ということで、欧州から監督招聘を決める。英語を話せる監督が良かった。クラマーさんは招聘できなかったが、オフトを招聘できた。オフトの指導は非常にロジカルで話すのも米国スタイルの英語という評判だった。まず「」監督を連れてくること」から始めた
・次はスカウティング、可能性のある選手を見つけ出してくること。さらに選手の育成、マネージメント。チームを強化するための会社との折衝。これらの仕事が自然とGMの仕事になっていった
・選手の獲得のためには、芝のグランドを作るなど環境を整備する必要があった。さらにサッカーを優先する姿勢を示し、サッカーで人事公募し、選手を辞めた後のことも考えて行く。これで2年ほどでマツダを見る目が変わっていった。
・選手の獲得についてはオフトと相談。組織プレーで戦うなら悪い癖がついてない高校生でもいいというので、九州を中心に高校生の獲得に乗り出した。もちろんスカウトはいないから今西氏が自分でやった
・「選手を育てるためには日本人の指導者も育てる必要がある」ということで、オフトには2人のコーチをつけ、彼のやることを学ばせた。それが現在の広島GMの高田豊彦とマネージャの田村誠。
・監督は全て自分の目でどういうサッカーをするのか確認して取らなければならない。
・バクスターはチームが欧州遠征した際に偶然対戦相手の監督をしていた。オフトの組織プレーがベースにあったのでバクスターの指導もなじみやすく、94年のファーストステージで優勝した。彼は連日永井ミーティングを繰り返し、耳にたこができるぐらいマニュアルを徹底した。ターゲットの高木にまず入れてMFがフォローし、裏にハシェックやチェルニーが飛び込むやり方。しかし高木がマークされると攻め手がなくなり点が取れなくなった。バクスターに打開策を聞くと「Mラウドルップを獲ってくれ」と言ったが、彼の移籍金と年俸等で6億円かかり、とても無理だったので却下した。バクスターは広島に優勝をもたらしたが、当時のチーム事情では、これ以上の進化が出来ないと判断して監督を代えた
・次はオフトの紹介でビム・ヤンセンを招聘。しかしヤンセンは戦術レベルが高すぎた。選手達はパターン化したバクスターの方がやりやすかったようだ。また優勝で年俸が上がりクラブの経営を圧迫するようになってきた。河野、片野坂、森山をらを売り3億円以上浮かせたが、それを見たヤンセンが「育てた選手をみんな売ってしまうチームでやるのは時間の無駄だ」と言って帰国した
・常に「この監督が終わったら次は誰にしよう」と考えてきた。広島は財政的に優勝請負人のような監督は執れない。むしろ選手を育成してくれて、さらにトレーニングの一部を日本人のコーチにも任せてくれるような監督が望ましい。
・トムソン、ヴァレリー・ネポムニシチー(奥さんの具合が悪く1年で帰国)、ガジエク(ヴァレリーの紹介、しかし面識がなく契約したため失敗)と全て欧州から監督を招聘。
・なぜブラジルや南米から監督を獲らなかったのか?
ブラジルに選手育成という発想はない。監督は結果だけを求められ、選手はダメなら代えられる。選手は勝手に育ってくるもので、育成が不可能な国です。しかもブラジル人の監督はスタッフもセットで仕事をしようとするので、彼らが去ったら何も残らない。これは広島というチームにはそぐわなかった
・助っ人外国人を獲得する場合は、必ず自分と監督、2人の目で確認してきた。
・日本の選手達は、スカウト、サテライトの監督が見て、「これはいい」となれば練習に参加させてみて検討するという手順をとった。テクニックとフィジカルは誰でも見る。もの今西氏の場合は、特に「集中力」の有無を見た。
・森保は「早くない、強くない、巧くない」しかし広い視野と持っていて、何より足りない部分を集中力でカバーする典型的なタイプだった。そしてどうしてもプロになりたいというひたむきさがあった。あと久保と柳本は無競争で獲れた。
・国見の船越優蔵は高木の代わりに狙っていた。だが船越がどうしても海外留学を希望したためガンバに行った。今西氏は「留学はさせない。させるなら、きちんと日本語を話せるようになってから」というポリシーがあった。
・選手の教育にも力点を置いた。選手達は嫌がったが、人の話を聞けば感想文を書かせ、人前でスピーチをやらせた。その影響だろう。マツダ時代から数えるとS級ライセンス取得者がクラブ単位で最も多い。
・94年に日本サッカー協会、強化副委員長に就任。そこで欧州との差をつめるためにユース演題がどんなトレーニングをするべきか、その強化指針を作成し、講習会を開いてトレセンコーチのレベルを上げようというプランがあった。ちょうど広島に下部組織を作ろうと考えているところだった。ともかくあれで指導者のレベルがいっぺんに上がった。
・Jリーグが開幕すると、JSL時代とは逆に高校生の有力選手たちが次々にプロに進むようになる。そこで再び大学生に着目した。日本サッカーの将来を考え、指導者を育成するには、彼らを生かすべきだと考えた
・2001年の北京のユニバーシアード(巻誠一郎、羽生、岩政、深井、堀之内、平川など)までの1年で4度くらい遠征についてく。大学生たちの学習能力の高さに感心した。概して大学生には学習するベースがあり、勉強に取り組む感性も備わっている。だから彼らが選手としてさらに成長し、将来は指導者として育つ可能性が高いと見る。
・ともかくチームの強化には指導者の質を上げなければならない。広島では、まずユースを全国レベルにして、そこから2~3人は上げられる仕組みを築こうとした。でももうユースでは遅い。今後は中学生をどう強化するでしょう
・企業に頭の切れる戦略家が存在するように、きっとJリーグにもとんでもないスケールのGMが誕生すると予測していた。だが、なかなかそういう存在は生まれてこなかった。
・GMとして生き残っていくために「選手とのマネージメントでも、外国人監督とのつき合い方でもいい。とにかく経営側には口の出せない、これは、という自分得意な領域を持つ。それをベースに経営にも理解を示すバランス感覚。そして人間性とビジョン」それらが必要だ。
・広島で出番の少ない選手を当時J2の大分に貸し出し、他のクラブとフロントの人的交流も検討した。
・サッカー専用スタジアムの推進プロジェクトも進めている
もっと臨場感のあるスタジアムをアクセスの良い場所に建設することで平均観客動員を2万人(浦和や新潟の半分)までは持っていきたい。そうすれば収益の合計が30億円近くまで届く。せっかく育てた選手を売らなくても済むようになる。

第2章
・クラブが成功するためにはチーム強化と経営面での筋の通ったビジョンが欠かせない。簡単に言えば、チームは優秀な監督と選手を揃えれば、結果を出せる。だが、それには潤沢な資金が必要で、そのバランスを取るためにフロントは知恵を絞る。
・(日本サッカー協会やFC東京を例に上げて)雇用者側に自分のチームにどういう方向付けをしたいのかというビジョンが無く、監督に、そこも含めて丸投げしてる印象がある。
・GMは言わば、指導者以上に豊富なキャリアと幅広い見識を必要とする職業だ。現場の指導経験者の中から経営者と対等にモノを言えるGMを積極的に育てていくべきだ


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