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2007年6月17日 (日)

ジーコ備忘録を読んで

「このワールドカップで選手が負けたわけでも、監督が負けたわけでもない。チームが負けたのだ。ドイツ・ワールドカップを戦ったチームにはまだ足りないものがあった。4年を掛けて多くのものを獲得し、力としてきたが、まだ足りない部分があった。我々はチームとして成熟しきれていなかった。プロサッカー選手として成熟した大人になりきれていなかった」(本文より)

そのチームの本当の真実の底にあるものは、その内部にいるものにしか分からない。
ただ、久米宏による「ジーコジャパン検証」番組や
http://nettaro.way-nifty.com/nettaro_blog/2006/07/post_9747.html
中田英寿の検証などもあり
http://nettaro.way-nifty.com/nettaro_blog/2006/07/post_90fa.html
さらにトルシエ「オシムジャパンよ!」によるジーコジャパンの分析もあるため、特に目新しいものはなかった。だが、ジーコが日本をいかに強くしようと苦心していたか、そして、「チームがファミリーになってない」ことに気が付きながらも、ドイツW杯前や本番中に多くの方法で修正しようとしてもできなかった。その一番重要な当事者の記録として大変重要であると言えるだろう。

ドイツW杯では、日本代表は選手、監督、協会の長、その他マスコミも成熟しきれていなかった。それが惨敗の一番大きな原因なのだろう。そしてチームは、トルシエ風に言うならば「ともに生きる状態にならなかった」、ジーコの言葉を借りれば「ファミリー」になれなかったのだ。ジーコの時には中国でのアジアカップがそうだろう。トルシエの時は、1999年のナイジェリアWユースが代表だろう。中国では反日感情のプレッシャーがチームを一つにした。ナイジェリアではブルキナファソ遠征を経て勝ち進むことによってチームが一つになっていった。(あの時は勝ち進むにつれて髪型を気にする年代なのに坊主に刈り上げる選手が続出していた。共に生きる状態になっていた現れだろう。重要なのはアジアカップでは控えにいた藤田や三浦淳宏、Wユースでは氏家(当時、大宮)だった。控えでも腐らずに、ベンチの盛り上げ役に徹することができた選手だ。トルシエはそういう存在の重要性が理解できていたから不満分子になる可能性のあった中村俊輔(あくまで当時の中村だが)を外しゴン中山や秋田豊を入れた。だが、ジーコにはその視点がすっぽり抜けていた)

記者会見でも言うようにジーコは「プロとして当たり前」のことを、この本で提言している。だが、その当たり前のことをこなすことがいかに難しいかは、どんなレベルの選手やレベルでも難しい。ドイツW杯ではFW以外は歴代の日本代表でも最高レベルの才能がピークの時期に行われた大会だった。その選手達でも「ファミリー」になれなければ力は発揮できない。ジーコによれば、それはあの伝説になっている1982年ブラジル代表でも同様だったという。戦術やシステム、テクニックは、世界にかなりのところまで追いついたのかもしれない。だが選手の頭の中、精神は、かなり差がある。この本は、将来、日本代表が惨敗を喫しないために、ワールドカップで結果を遺すためにジーコが日本サッカーに遺してくれた「遺言状」である。この遺言状をクリアしないことには日本サッカーがW杯で優勝することはできない。そんな気がするのだ。

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