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2006年7月 9日 (日)

7/9滞在記、ベルリン

7時に起きて、ベルリンを少し観光する予定だが、起きたら11:00だった(苦笑)。結局、ベルリンには16:00前に到着、友人に勧められていたペルガモン博物館を訪れる。日本語テープ(無料)の解説つきだ。1時間ぐらいですます予定が、終了までの2時間でも、はっきり言って時間が足りなかった。旅慣れた友人が勧めるだけあって良かったが、2時間ではあまり鑑賞しきれたとは言えないだろう。結局、今回、ベルリンは「壁」もブランデンブルク門も見ずに終了する。
軽く夕食をとった後、ベルリン中央駅へ戻り、ブログを更新しようとするが、ココログが混んでいるのかニフティのサーバーが貧弱なのか分からないが、全く更新できない。30分ほど粘ったが、テキスト記事一つでさえ、更新できなかった。
スタジアムではチケ代が高くてスタジアム観戦を断念する。試合をまともに見れたのは後半開始からだ。一日、休養が長かったイタリアの方が、全く動きが悪い。ラインがずるずる下がり、危険な位置からのクロスもフリーで上げさせることがしばしば。黒人たちの個人技を2人、3人がかりで止めるのがやっとという状態だ。「ザマの決戦」どころか、首都ローマを攻められて、いつ陥落してもおかしくない状態が続く。75分過ぎには、半分以上、あきらめていた。しかし延長後半、ジズーが、乱心の末、退場になってしまう。しかし相手が10人になったのにも関わらず、イタリアのペースは上がらない。フランスも将軍抜きでは攻め手を欠き、結局、PK戦となった。そしてイタリアが珍しくPK戦で5人全員決めてW杯を獲得した。ローマ帝国の歴史に例えれば、カルタゴの敵将軍が乱心により討ち死にし、さらに攻略できない内に兵糧がつきてしまったため、ローマが命拾いしたみたいな感じだろうか(苦笑)
この試合、サッカーの神は迷いに迷われたようだ。この試合だけで見れば、間違いなく勝者にふさわしいのはフランスだ。だが大会全体を通してみるとふさわしいのはイタリアの方だった。双方に決め手がない場合、神はPK戦を選ぶのだろう。PKに入った時点で、90年大会から続く(90年PK負け、94年PK負け、98年PK負け、2002年韓国の審判不正工作による負け)イタリアの不運を、サッカーの神様はこの勝利でチャラにしたような気がする。それにしてもジズーは、最後の試合で世界中の人間が注視するW杯ファイナルという大舞台で、頭突きで退場とは...。世界中が唖然としたに違いない。
ともあれ、W杯は終了した。ローマやイタリア各地は、「イッタリア!イッタリア!」の大合唱で凄いことになっているだろう。もちろんファンフェス会場にもなっているカイザー・ヴィルヘルム記念教会広場には、大勢の人が集まってきている。イタリア人、フランス人、ドイツ人の他にも、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、クロアチア、いろんなユニを着た国の人々がそこにはいた。ファンフェス会場でのイベントの他でも、黒人たちによりアフリカンドラムが叩かれ、、あちこちで踊りが始まっていた。「イッタリア!イッタリア!」のコールがあちこちで起き、イタリア国旗を掲げた車も何台も繰り出している。もちろん今夜の主役はイタリア人たちだが、脇役たちもそれぞれの思いを胸に、W杯という4年に一度の「」祭りの終わり」を楽しんでいるように見える。
その祭りの喧噪の中で、ふいに「トッティ」君のことを思い出していた。今大会のイタリアの10番のことではない。93年春、イタリア旅行した時に、フィレンツェからローマへ向かう電車の中で一緒に乗り合わせた「トッティ」君のことだ。フルネームはビンチェンソ・トッティだった。ほぼ同じくらいの年の両者は、いろいろなこと拙い英語で話した。セリエAのこと。始まったばかりの日本のプロサッカーのこと、話はいろいろな内容に及んだ。(「ビンチェンソ」という彼の名前に漢字を当てたりもしたな..)彼はイタリア南部のアキレス腱部分ぐらいにある小さな町(名前は忘れてしまった)出身の青年で、トリノに働きに出てて帰省するところだという。その町のことを聞くと「何もない町だ。フットボールクラブ?今は、3部にいるよ(苦笑)。北のチームは金持ってるから強いけど、南はどこも貧しいんだ。でも海はとってもきれいだけどね」という答えが返ってきた。そして82年スペイン大会の話を聞くと「あの日は素晴らしい日だった。国中が沸き返っていたよ。あれは一生忘れられない思い出だ」と。その時だけは目を輝かして話してくれた。それを聞いて、当時、まだ20代前半だった自分は心底「羨ましい」と思ったものだ。今頃、きっと「トッティ」君は子供と一緒に今回のイタリア代表の快挙に大喜びしてるだろう。人生で2度も「W杯獲得の歓喜」を味わえる人は、世界中でもそういないはずだ。あれから13年後、彼のことを相変わらず羨ましく思う自分がいた。広場では「祭りの終わりの宴」はまだ続いている。きっと朝まで続くことだろう。「死ぬまでに、ぜひこの宴の主役になってみたいものだ。でも今の老害会長が続投すれば、実現しても、その頃はほとんど寝たきりになってるかもしれないなあ...(苦笑)」こう思いながら、フランクフルト行きの電車に乗り込んだのだった。

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