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2006年7月21日 (金)

久米宏ジーコジャパン検証(抜粋)

久米宏特番ジーコジャパン検証(2006年7月21日、金)(抜粋です。久米宏の感想などはカット)

主に鈴木通訳の言葉の抜粋:通訳:鈴木國弘

オーストラリア戦前のジーコの指示
:オーストラリアは高いボールを入れてくるに違いないから、それに注意しろ

ハーフタイムの指示
(鈴木)1-0の、うちのリードした時のプレーの仕方があるんですね。ボールを回しながら、相手の隙を見てどこかで追加点。
ジーコ:これだけの暑さだから、とにかくボールを動かせ。ボールを回しながら追加点を狙え。
鈴木:慎重にやりながらも「攻めるんだ」ということは、分かっていたと思うんですよね。

後半34分の小野投入。小野への指示
鈴木:特別な指示はなかった。彼の能力、キープ力、ボールを散らす、スルーパスも出せる。この時点では絶対にボールをキープしたかった。なんとかうちがはじき返したボールを、特に中盤でセカンドボールをキープしたかった。
宮本:僕自身はボールをしっかり回すという。そして時間をつぶすという交代なのかなという印象は受けました試合中に。
中澤:守備に戻るな前でプレーしてくれと指示された小野
小野:福西さんを1人にしても大丈夫だろうと賭けにでました
(小野は前に出て攻撃的なプレーを開始する)
中村:中盤の守備が最初は二人いたのに福西さん1人という中途半端な状態になった
(番組では、この小野投入を失点への助走が始まったと指摘)

後半39分、ロングスローからの川口の飛び出しミスからの同点ゴール
同点ゴールについて
鈴木:ジーコというのは基本的なパターンを動きを選手に教えて伝達して、その後はケースバイケースで、選手の自由なチョイスを与えているわけですね。ただ、かなり長いロングスローはやってくると情報にあったわけですよ。何回か練習したんですけども、あの時に川口が、あのボールに対して出てくると。出てくるような動きをしてなかったという風に思うんです。でもそれを任せたのはジーコだし、選手が個人個人でチョイスする。でも基本的には練習でやった形をやろうよというのが、ジーコのスタンスでもあるんですけども。

1-3での敗戦後
鈴木:ショックも大きいですね。こんな展開になっちゃって。冷静に見ていられる人いないでしょう。(ジーコの終わった後の様子は?)監督は、この試合、1回も「勝て」とは言わなかったんです。勝てるような準備をしてきた訳だから、もう全力を出せ、目標に向かって。目標というのは勝つこと。「勝て」と言ったことはないんですけども、ただ「負け方」というのが厳しかったんじゃないかと。ただ、それを引きずらないようにというのが、ジーコの頭の中にあったと思う。

(番組)トルシエを規律で縛り、選手を機械の歯車のようにするサッカーと規定。ジーコは自由で攻撃的なサッカーをしたいと言った。

それへのジーコの反論(2006年5月16日)
ジーコ:規律で選手をしばれるという考えは机上の空論でしたかありません。そんなことで選手を引っ張っていけるかというと、非常に難しいと思います。大事なことは練習を通して1人1人の選手に自主性を持たせることです。そのために選手とは常に話をして、お互いの気持が分かりあえなければならないと思います。

自分たちで考えて自由にやれというジーコの考えは、今の段階の日本代表に最適だったのか?
鈴木:自由というのは「選択の自由」なの、自分たちの。基本的なゲームプランというのはあるわけですね。イメージトレや練習の時も、ずっと含めて言うんですけども。絶対に、ジーコが言うシチュエーションだけではないわけです。何百何千というシチュエーションがある中で、自分たちで判断して動いていいということ。例えば、Aという選手がボールを持って前に出た。その時は必ずカバーリングする。カバーリングするのは誰でもいいんだけれども、「お前がカバーしろ」。そういうコミュニケーションができていれば、どんな選択をしても構わない。

(中田英寿に関して)
鈴木:前の監督との色んなやり取りの中で、行き違いがあって、「もう自分はいいかな」というような思いを持っている。ジーコは「絶対に中田を呼ぶんだ」と。「いいんだ。やっぱり能力がある」と。それでジーコとヒデが30分話したんですかね。それでヒデが「それならやってみる」という形になったんです。

(番組:自分の考えをはっきり言う彼は、時としてチームから浮いてしまうことがあった。2005年3月23日テヘラン、紅白戦のさなかに中田と福西が口論になった、その時のジーコ)
ジーコ:これでいいんだ。殴り合いになれば止めに行こうと見守っていた。
鈴木:ヒデの発言の仕方、表現の仕方と、周りの受け方というのはギャップがあったんじゃないですかね。ヒデが浮いてるというのはジーコも分かるし。(食事の時も?)1人で離れて、そのうちスタッフと食べたり。そこをジーコはつくわけですね。「やり方があるだろう」。もう少し受け入れられるやり方。自分を捨ててというわけじゃないけれども、自分の要求をチームに伝えるということが大切なら、少し回り道をしてもいいんじゃないかと。そういう表現ですよね。それでジーコがね、「実は俺も昔そうだった」と。「自分はけっしてバリアーを張ってるつもりはないし、人を遠ざけているつもりもないけれども、何か人が寄ってきてくれない」。でも自分はチームメイトなわけです。なんとかしてというと、やっぱりどうしても自分が他の選手のところに自分から入っていくしかない。そういう努力をしないと、もう一皮むけないぞと話したことを覚えていますね。

(ジーコは何よりチーム内の雰囲気を大切にした。長い時間共に過ごすことによって生まれるチームの和。選手へのリスペクト)
鈴木:ジーコが「俺が監督だったら」という話を一回したことがあるんですよ。まず雰囲気作りから始めるなと。Jリーグってすごいハードなスケジュールで、選手達は本当に疲れ切っているわけですよ。だからサッカーで一杯一杯になっているんで、代表に来たらアットホームな形で、ご苦労さんと。みんなエリート集団なんだから、自分たちで楽しんでサッカーやろうよ。だけど国を背負っているわけですけども、そういう雰囲気作りからやりたいと言ってましたね。(マスコミの前で選手の悪口を言わないと?)絶対に言わないですよね。(1人になった時は言うんじゃないですか?)ぶつぶつはいいますよ。それは俺に対して言ってるんじゃなくて、独り言言ってるのは聞こえるわけですよね。「なんであのボールが入らないんだ。なんでこうなったんだ」というようなことは言ってますよ。絶対に公の場では言わないですよ。通訳してて思うんだけども「どうやってかばうんだろう」と。なんか独特な、ちょっと支離滅裂かなと思うような理由をつけながらかばうわけですよ。素人が見ても、こいつ最低だと思うときでも、どんな理由をつけてもかばうわけですよ。自分が大事にしてる選手をボロボロになりながら守ってきたわけですね、最後まで。

クラマー氏(現在81歳)登場
クラマー:(ジーコは選手が自分たちで考える、自由を与えたんですが、これは日本には早すぎるという意見もありますが)まったくそんな事はありません。「日本には早すぎる」ということはないのです。監督は色々な約束事を設けることはできます。しかし、約束事を消化するのはあくまでプレーヤー自身なんです。監督は試合に出ることはできません。つまり所詮ベンチからは何もできないのです。だからこそ、プレーヤー個々に自由がなくてはならないし、その場その場での瞬間の判断ができなくてはならない。つまり自主性を持っていないといけないのです。川淵や釜本に聞いてみてください。私は彼らに自由を与えました。その理由は彼らの個性を伸ばすためです。個々の選手が生まれながらに持っている才能を引き出し、それを伸ばすためには自由が必要なんです。私はジーコのやり方に賛成します。

ジーコの10歳上の姉姉(マリア・ジョゼー):(4,5,6,7歳ぐらいのジーコはどんな子供でしたか?)。ジーコはとにかく几帳面な子供でした。いつもお兄ちゃんが遊んでくれるわけじゃなかったので、よくひとりでサッカーゲームをやってました。でも、それがいつもフラメンゴ対フラメンゴなので、必ずフラメンゴが勝つんです(笑)。しかも試合の結果を丁寧にノートに書き込んでいました。そのノートも整理して大切に保管するそんな子供でした。(ジーコの華奢だった身体について)栄養士の指導のもとで食事療法もしていたんですが、ジュースが見あたらないと「僕のジュースはどこ」って探してました。私は毎日、オレンジやニンジンやトマトが入ったミックスジュースをジーコのために作っていました。

2006年1月のジーコ
ジーコ:(ブラジルにいるジーコさんと日本にいるジーコさんは違うんですけれども)今は仕事を離れて子供や家族に囲まれていますので、そりゃ仕事中の顔とは違いますよ。(監督の面白さはどこにありますか?)フラメンゴの時とは違って、私の満足や喜びは選手としてゴールを決めたり良い試合をすることではありません。大事なことは日本代表チームをちゃんと機能させることです。そのために重要なことは若い選手を成長させ一流プレーヤーにすることです。以前から私はいつも言っていることなんですが、日本人のヒーローが必要です。そこで初めて日本のサッカーは成長すると思います。今は監督でいることが私の喜びです。でも少し髪が薄くなりました。白髪も増えたし、(監督してなかったら、もうちょっと良かったですか?)多分ね。この白髪だけど、こっちは小笠原でこっちは中村そして中田。名前がついてるんです(笑)。

6/14ボン(クロアチア戦前)
ジーコは守備のシステムを3バックから4バックに変更した。そして珍しいことがあった。ジーコが中田ヒデを呼んで、「あまり前に出すぎることがないように」注意した。これまで中田にはほとんど注文を出していなかったジーコ。何かが変化していた。

6/16クロアチア戦前にボンにある日本食レストラン「上條」にて選手達だけで決起集会を開く。注文はすき焼きだった。笑い声が響いていたそうだ。店主は話の内容に関しては、全く触れず。(あえてとぼけてたのかな?)

(6/17)試合前日のフランケンシュタディオンでの公式練習、通常、ピッチの上で行われるミーティングが、この日に限ってはロッカールームで行われた。ジーコはスタッフを外に出し、選手だけに話しかけた。「私の指示通りに動いてくれ」。細かい戦術は選手同士の話し合いに任せてきたジーコが。今までにない言い方だった。

鈴木通訳:ずっと今まで4年間そうだったんですけれども、選手達がそれぞれ自分の考えを言い合うというのは、このチームは普通だったんですよね。でも、やはりクロアチア勝負ですよね。クロアチアに負けたら全然可能性がない訳ですから。第1戦に負けた事によって、選手達も次は勝たなくてはならない。そうすると気ばかり焦ってしまって、自分で「こうしなくちゃいけない。ああしなくちゃいけない」。あれだけの人数がいるわけですから、23人がもうほとんど考え方が別ですね。話し合ってはいるんですけども、そこでまとまったものが出てこなかった場合、後で悔やみ切れないという気持がジーコにあったので、「ここは自分に任せてほしい」と。良くても悪くても自分が責任を取る。自分の指示通りやってくれと。クロアチアに対して、どういう守備的なものを取るのか。相手のエンドに行ってボールを取られますよね。その時に、そこではプレッシャーをかけずに、全員が一回引くんだと。ハーフウェイラインまで。

ジーコの指示:守備に関すること。相手の陣内でボールを奪われた場合、その場所ですぐにボールを奪い返しに行くのか、それとも一度全体が下がって立て直すのか、その判断は今まで選手に任せてきた。しかしクロアチア戦を前にして、ジーコは監督としての考えを明確に打ち出した。一度全体が下がって立て直せと。

鈴木:(初めてですよね具体的な指示は?)そうですね、あの種の指示は、流れの中ではやっていたんですけども、ああいう風に具体的に指示を出したのは初めてですね。

6/18クロアチア戦
鈴木:(前半21分の川口のPKストップについて)独特の能力ですよね、能活の。この時に彼に聞いたんですけれども、最初は呼んで飛ぼうかと思ったんですって。蹴る前に、「いや、これは待った方がいい」と。「ボールに反応した方がいいと思った」というんです。

発熱が伝えられていた中村について。中村:試合前にジーコに「先発を外してもらってもかまわない」と言った。そしたらジーコは「変えられない。それで何を言われようが、自分が責任を取るから、だから「代えてくれ」とか言うな」と。

鈴木:(中村の体調に関して)熱もかなりあったんですけれども、試合の前は下がってたんですね。ドクターもこれなら行けるでしょうという判断でいったんですけども、本来の調子とはかけ離れていて、でも、それでもジーコは使うわけですよ。一発のスルーパスというのは、今まで色んな状況の中で、彼はチームを救ってきましたし、FKとかで。最終的にこういう拮抗した試合の中で、試合を決めるのは個人の技術だという考えなんですよ。

鈴木:(後半6分の柳沢のドフリーのシュートミスについて。完璧に1点取れるシーンですよね?)はい。プロとしてしょうがないですよね。騒がれてもこれは。本当にコメントするの難しいですよね。何だろう。これって。4年間、ずっと練習してきているわけですよね。特にジーコが言うのは、「どうしてあのボールが枠に行かないのか」とか、葛藤があったと思うんです。そういう点を抑えて。自分とレベルが違う下の人間の良さを発揮させながら、高めていくという忍耐力はすごいものだと思いますよ。自分でうあれば簡単に入るわけですから。なんであそこにボールが行かないという方が理解に苦しむレベルから。ずっと我慢してるわけです。彼は自分でできるだけに余計に辛かったんでしょう。何かW杯独特の雰囲気とかあったんですかねえ...。(かなりショックでした?)本当、元気なかったですね。

1990年2月6日、マラカナンスタジアムでジーコの引退セレモニー

ジーコ:(91年になぜ、日本のアマチュアの2部のチームに行くことにしたのか?)理解してもらえるかどうか分かりませんが、私が住友へ行ったのはサッカー選手として行ったのではありません。サッカーをプレーしたのは、日本サッカー発展のためでした。プロのサッカーとはどういうものなのか、プロの選手としての振る舞いはどうあるべきか。日本はサッカーのプロ化を望んでいましたので、その種の導きを必要としていたのです。

妻サンドラ:(なぜジーコは日本へ?)本当のことを言えば、私もびっくりしました。急に何か決めちゃうんです。いつもそうです。ただ約束した人は必ず果たす人です。それに彼はチャレンジが大好きなんです。いつも言うのだけれども、自分はそのために生まれたって。だから日本へ行ったのも一つのチャレンジだったんでしょう。(ジーコの欠点は?)欠点は誰にでもありますから、もちろんジーコにもたくさんあります。例えば新聞を読んでいる時に声をかけてもまるで上の空です。特にTVでサッカーを観ている時などはひどいもので、まるで人の話は聞いていません。子供たちもしょっちゅう文句を言っていますよ。

住友金属に初めて来た時のジーコの挨拶
ジーコ:どんな時でも常にサッカーをうまくなりたいと考え続けて欲しい。うまくなりたいと思って練習し続ければ必ず日本サッカー界でチャンピオンチームになれると私は確信しています。
*ジーコは情熱を持ってチームメイトにサッカーの指導を行った。その姿は鈴木によれば「鬼軍曹」のようだったという。

鈴木:(ここで住友金属の指導をしてる時は楽しそうでした?):怖いというか楽しそうといか、「全てを変えるだ」という情熱がたぎっているわけですよね。みんな同じような感じで、常に怒られてるというか。彼にとっては「怒る」という感覚じゃなかったんでしょうけど。ああいう物のしゃべり方をする人だから、それが情熱こめてしゃべるから。受ける方にとってはつらかったです。毎日。地獄のような日々でした。「明日は何を言われるんだろうか」とか。当時はジーコは上野毛(東京都世田谷区)に住んで、車運転して帰るわけですよ。自分で運転して。その時に、たまたま乗せてもらった時に、止まるたびにハンドルに頭ぶつけて「ダメだぁ!」と言うわけですよ。最初、ずっと「ダメだぁ!」を聞いてたわけですけども、「何がダメなんですか?」と聞くと「どうしようもない。俺はここで何をやっていいか分からない」と。もうあまりにもレベルが違いすぎるということですよね。一生懸命やってるんだけれども、どうにもならないと言ってるわけですよ。こちらとしてはなんとも言いようがないわけですよね。で、翌日、こちらに来るんですけど、車で。その時は別人になってるわけです。「今日もいくぞ~!」と。またうちひしがれて帰ると。その連続です、当時は。

鈴木:ファンの方達を大切にするんですね。プロとして何十年も生きていると「この人たちがいるから自分たちは生きて行けるんだ」と。入場券を買ったり、あるいはスポンサードでやってくださる方のために。だから、必然的に時間があれば必ずサインをする訳です。どんな時でもとにかく。そこら辺がプロ意識。こんな細かいとこから、いかに自分達がボール蹴って、本当、サラリーマンの人たちが羨むようなお金をもらって、いい車に乗ってられるのは、みんなこの人たちのおかげだと。あの人は、本当にそれを実行するわけです。

1993年5月16日Jリーグ開幕、鹿島スタジアムでの対名古屋戦。ジーコのハットトリック。ジーコは日本の15年間での最大の功績は開幕戦ハットトリックだと答えている。
鈴木:私は意味が分からなかった。どういうことなんですか?と。あの時に世界はJリーグが発足したというのは知識として持っているんだけれども、本当にアジアの島国、日本という所で、たまたまJリーグというプロができたという認識しかないんです。ジーコがハットトリックすることによって、そのことが世界にニュースとして流れるわけです。「ジーコもやってるんだ」と。ということは、ある程度本気なんだなと、日本という国がね。ここまでジーコを呼んでまでやるんだという。あれから世界が日本に対して注目しはじめた。本当に讃えられることができるのは、あのハットトリックだと。

日本での引退後、1994年、リオにジーコサッカーセンター設立。
ジーコ:(何もしない、休憩するという考えはないんですか?)ないですね。私は何かを生み出すということが大好きです。何もしていないと15日異常は耐えられないと思います。人生は絶えず動いていなければならないと思います。今は休んでいても新たなモチベーションが出てくると思います。今している仕事も新しい仕事につながるかもしれません。それが人間の人生ではないのでしょうか。新しい挑戦を探している人は、日常のマンネリ化にはまってしまうことがこそが危険なのです。(これまでの人生を総括すると?)神から多くの恵みをもらっていることに感謝しています。自分としても最大の努力をしました。それに対して多くの見返りを全ての面において受け取っています。

6/22、対ブラジル戦
ブラジルの先発メンバーはジーコの予想を裏切るものだった。
鈴木:情報が入ってジーコが考えてるメンバーと違ったわけです。相手のスタメンが。若手を入れてきたんですけども、これ見た時に「うわっ!」て言ったんです。「どうしたんですか?」と。「これはやばいぞ」と。「どうやばいんですか?」と。「多分、これが最強のブラジルだ」と言うわけですよ。なぜまずいかというと、彼らは運動量も豊富だし、たまたまきたチャンスなんで、ものすごくアピールしますよね。もうモチベーションも十分ということで、ある程度誤算というか、そういう部分がジーコの頭の中によぎったと思うんです。(クロアチア戦と同じメンバーできた方が良かったわけですね?)そうですね。(VTRを見ながら、この試合はいい試合でしたね?)いい試合でしたね。少なくとも前半、本当にいい試合でしたね。守備もしっかりしてたし。(前半34分の玉田のゴールについて、ジーコ、嬉しそうですねえ?)最高でしたねもう本当に。この世の春みたいな感じですね、ここまでは。本当に2点目はいるような気もしてましたし、このブラジルのディフェンスついていけないですよ、斜めの動きってついていけないんですよ。確実にゴール見てシュート。ここで見てますよね。これは素晴らしいシュートですよ。(特に玉田への指示は?)練習の時に、本当に厳しいことを言われましたね。ちょっとでもミスすると「お前は、全部枠に入れなくちゃいけないだ」というようなことで、かなり個人的にも言われてましたよね。いまいち玉田が元気なかったんですよね。本来の玉田に戻そうと監督思っていて、わざと玉田に関しては強く言ってましたね。(前半のロスタイムの失点について、)もう全く想定外ですよね。ここで1点入れられる。選手もそうだったんですけども、サポーターの方達も全員そう思ったんですけれども、あの時ね、選手が引き上げてきたわけですよ。もう全員下向いてんですよ。ここで1点取られるほど、サッカー、明暗分けることはないんですね。逆にブラジルはここで「ダーッ」と盛り上がちゃうわけです。「行けるぞ」と。あの時にジーコ初めてね、語気を荒げそうになったんですよ。「こんな点をこんな所で取られて、うーん、まあ、いいや、しょうがない」という感じでしたね。俺もそのまま訳しましたよ、同時で。「何でこんなところで点取られるんだよ!まあ、しょうがない」と。「取られたものはしょうがない。頭上げて行こう」と。選手も同じこと考えているわけですよ。だからみんなこんな風(下向いている様子)に。負けたようなベンチ、ロッカーなんですよ。(後半のビデオを見ながら)シュートをよくジーコが言っているように、(ブラジルは)常に全員がゴールを狙っているんですよ。ということはボールを回している時でも、誰1人としてボールを回すためだけに回しているんじゃないんですよね。必ず見てるんですよ、ゴールを。そこがブラジル人の凄さだと思うんだけども、ただ単にプレーしてるんじゃないですよね、常にゴールに気持が向いてるわけです。だから、強いんですよね。日本はだいぶ良くなってきたんですけれども、一時は、「日本って全然怖くない」て外国人は言っていたんですよね。特にブラジルの選手と話して、「日本全然怖くない。だってゴール全然意識してないもん。球すごく回っているんだけど、あんなの回させてるんだよ。でも韓国になると、韓国は日本より技術は下手だけど、全員がゴールに向かってくる。その怖さがある」と。(ブラジル戦後のジーコは?)選手それぞれ思いはあると思うんですよ。いろんな思いがあの中に交錯してたんですけども、うちらから見ると、本当に絶望、絶望というか、呆然自失というか、あの球回し見せられた時に。まずベンチで言ったんです「何とかなんないですか?」と。すんごい球回っているわけですよ。「お前、言っただろう。ブラジルはリードしたら、絶対、これやってくる。これやれせちゃダメなんだ」と。逆に言ったら、「ああ、始まっちゃった」という感じですね。これ始まっちゃったら、そう簡単には止められない。反則で誰かあのリズムを止めてしまうか、カード覚悟でね。それしかないんですけども、それすらやる余裕が残っていなかった。選手達も同じ事感じてたと思うんですよ。とにかく触れないわけですから、相手の体にさえ。本当に完璧なボール回しですよ。ジーコの頭の中にはリードしたら、これが常にあったんですよ。それを目の前でやられてる悔しさと、かといってどうすればいいんだと。少なくとも俺が感じたのは、あまりにもとんでもないものを感じてしますと人間涙が出てこないですよ。何がなんだか、よく分からない。この空気は何なんだろうと。で、4年間が終わってしまった。本当に日本中を巻き込んで、やって4年間、それが、こういった形で終わってしまったと。本当にいろんな気持が交錯してね、口も聞けないような状態。まともに物が判断できない状態。独特の雰囲気でしたね。

来日して15年、日本代表監督に就任して4年、ジーコは何を残したのか?

ジーコラストメッセージ:日本は私が安心して仕事をするためのサポートをしてくれました。多くの人々が私のためにしてくれたことに感謝します。今の日本は私にとって故郷です。日本に来るのはブラジルに帰るのと同じです。私の中では違いがありません。それはみなさんの愛情があるからです。私の仕事を信頼してくれた日本にありがとう。

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