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2006年7月

2006年7月29日 (土)

8/9国立で「川淵やめろ!」コールを

川淵三郎を至近距離で見たのは、1998年のリヨン、ジャマイカ戦に負けた後だった。サポーターから握手を求められた彼は喜んで応じていた。しかし、サポから「長沼をやめさせてください」と言われた時、彼の表情がひきつったことを覚えている。長沼は辞任はしなかったが、任期満了で会長の椅子からは降りた。

あれから8年、今の川淵は長沼以上の独断専行を行い、長沼以上の憎悪をサポから受けている。しかし、彼は責任を回避し、会長職の再選に向けて、協会内とマスコミをコントロールしている。彼は、この4年で日本サッカーを私物化してきた。その様子は「日本サッカー界の金正日」と呼んでも差し支えないほどだ。彼はもうJリーグ創設時の青雲の志をもった人物ではない。金と権力に固執する妖怪に変わった彼はさらに私物化をもくろむだろう。彼は日本サッカーに巣くうガン細胞に変わってしまったのだ。このまますんなり再選を果たせば、彼は会長職の定年の延長を画策するはずだ。もしくは引退後は院政を引くことによって、その影響力を保持しようとするかもしれない。彼が関われば関わるほど、日本サッカーは私物化され悪い方向に行くだろう。手遅れになる前にガン細胞は切除しなくてはいけない。だがマスコミは取材拒否という手段によってコントロールされてしまっている。さまざまなHPはチェックしてるはずだが、「少数派は無視しておけばよい」と思っているはずだ。彼はもうサポーターの顔は見ていない。自分に金を持ってきてくれるスポンサーと広告代理店の顔しか見てないのだ。

8/9国立、W杯後のオシムジャパン初戦。アクションを起こすには、ここが一番いいだろう。ただし「川淵三郎は責任を取れ!」などの垂れ幕は、シミスポによって、徹底的に強制排除されるはずだ。またTV画面では全く映さないだろう。最も効果的なのは、国立で「川淵やめろ!」コールをかけることだろう。国歌演奏後、キックオフ直前までコールする。さらにハーフタイムにもコールしたいところだ。(できればウルトラスというサポを束ねる役目である植田朝日氏に協力してもらいたいところだが...。)いろいろな妨害工作が行われるだろう。だがサポーターというサイレントマジョリティーの意向を届かせるためには、これぐらいしないと彼らには届かないだろう。TVの向こう側にいるサポ達や一般の方に届けるのはもちろん、メインスタンドにいるスポンサーに、我々の意向を届けるべきなのだ。もちろん、これだけで川淵三郎を辞任に追い込めるとは思わない。だが、この行動が川淵の盤石な権力構造にひびを入れる一歩にはなるはずだ。その一歩は悪化し始めている日本サッカーを良い方向に向けさせる一歩に変えなくてはいけない。ともかく何か行動しないことには何も変わらない。

とりあえず思いつくままに書いてみたが、8/9当日は幸いチケットを手に入れることができたので、何か行動を起こすつもりだ。(もちろん法律は犯すつもりはないですが)。もし何か、もっと効果的な活動ができるようでしたら、教えていただきたい。

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2006年7月28日 (金)

Shame-日本サッカーを汚したのは誰

川淵はまちがい
でも自分は間違ってないと言う
川淵のエゴがみえる
奴のエゴをもうみたくはない

川淵は正しいという
でも正しくはない
続投は決してさせない
奴みたいにはなりたくない

I'm angry
I'm so angry
この気持は消えない
I'm so angry

偽り
策略
謀略
失言
逃亡

強圧
略奪
追放
悪意
支配
ひどすぎる

川淵はまちがい
でも自分は間違ってないと言う
川淵の支配がみえる
奴の支配はもう受けたくはない

I'm angry
I'm so angry
この気持は消えない
I'm so angry

川淵は正しいという
でも正しくはない
サッカーを汚したくはない
川淵にこれからも汚されたくはない

佐野元春の名曲「Shame-君を汚したのは誰」を
アレンジしてみました。(といっても35歳より前の世代の
方には、聴いたことがない曲でしょうが)

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2006年7月21日 (金)

久米宏ジーコジャパン検証番組を見ての単なる感想

「18歳のジーコは今のメッシと似ている」それがこの番組での最大の発見だった(笑)。まあ、それは冗談だが..。ジーコジャパンの検証番組としては、総合的に見て全く検証にはなっていないが、ジーコが何をどう考えて代表チーム作りをしていたのかだけは伺える内容だった。(もちろん鈴木通訳の全面協力を得ている以上、ジーコをけなすような番組を作れなかったのだろうが..)

ジーコは日本代表の選手をブラジル代表選手並の判断ができるはずだという前提でチームを作ってきた。アットホームな雰囲気と選手の自主性を最大限に尊重したチーム作りをジーコは心がける。それはジーコにとって理想の代表チームのあり方なのだろう。しかし、その方法はジーコにとてつもない我慢を強いることになった。それは選手がジーコの想定しているレベルには達していなかったからだろう。それでも、ジーコは辛抱に辛抱を続けて、選手の成長を待った。特に期待していたのは自分の白髪が増える原因となっている3人(中村、小笠原、中田英)だ。彼らのうちで誰かがヒーローになることで初めて日本サッカーが成長するという考えだったようだ。だが、4年という歳月を費やしても選手の中でヒーローにまで成長するものは出てこなかった。さらに4年かけて、ほぼ同じメンバーで固めたにも関わらず、チームはW杯という一番大きな舞台で一つにまとまることはなかった。15年前、住友金属に来た時、ジーコは、自分とのレベルの差に毎日絶望していたが、ドルトムントでのブラジル戦を終えた後も、レベルの差に絶望したに違いない。だが、その絶望は、ジーコの監督としての経験不足が招いたものだ。監督としてまず最初にやるべきだった「守備戦術・意識の統一」を図ったのが、クロアチア戦の前日という事実にはあきれるしかない。ジーコは現実が見えずに理想だけを追い求めた。だが最後の2試合になってやっと現実的な解決方法という応急処置を施す。だが、それでグループリーグを突破できるほどW杯という舞台は大甘ではなかったということなのだろう。

番組の終わりに、「ジーコがこの4年間で何を残したのか?」という問いかけがあった。プラスの方は探すのも難しいのだが、あえて言えば、超一流のプレーヤーであった経験を、ごく少数にだが、伝えることができたということだけのような気がする。マイナスの方は、はっきり言って数え切れない(苦笑)結局、日本サッカー協会は監督経験のない人物に大金を払って経験を積ませることになった。その監督は結果的に、日本代表史上最高のタレントを抱えたチームを一つにまとめることもできずに日本を去っていった。KET SEE氏がブログで言うように、日本代表を「焼け野原」にした状態で。

結局、この番組はジーコ擁護派のための番組でしかなかった。久米宏ということで個人的にちょっと期待していた部分もあったのだが、彼の目はどうやら曇ってしまったようだ。それとも日本サッカー協会から結構な便宜でも受けているのだろうか?いずれにせよ、この番組はサッカーを専門に追いかけていない日本のジャーナズム界の、現在の限界点を表しているような気がしている。

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オシム代表就任会見

日本代表オシム監督、U-21代表反町監督 就任会見(2006年07月21日) 

川淵三郎(財団法人日本サッカー協会 会長)
イビチャ・オシム(日本代表チーム 監督)
反町康治(U-21日本代表チーム 監督)

■監督契約とは結婚のようなもの

川淵 イビチャ・オシム監督と、日本代表チーム監督の契約ができる日を迎えられたことを非常にうれしく思っています。その反面、ジェフ千葉の関係者、特にサポーターの皆さんには心配や、あるいは納得のいかない面もあるかと思いますけれども、オシム監督を日本代表チームに送り出して本当に良かったと思える日が早く来ることは間違いないと思っています。
 反町監督の契約を喜んでいないわけではないのですが(笑)、今日の主役はオシム監督ですから。反町監督の紹介は特にしなくても皆さんご存じでしょう。彼も素晴らしい五輪チームを作ってくれることは間違いないと思います。
 このコンビが4年間、日本のサッカー界を引っ張ってくれることを期待していますし、多くのファンも同じように考えていると思います。
 今日は、私が話すよりオシム監督が話した方が皆さんの聞きたいことだと思うので、これくらいにしておきます。本当にありがとうございました。

オシム 日本サッカー協会に選んでいただいてうれしく、そして光栄に思っています。監督契約はある意味で結婚です。婚姻を結ぶと最初はうまくいきますが、その後がどうなるか分かりません。
 結婚では、たいへん多くの方の力が必要で、私と川淵キャプテンと反町さんの3人だけでやっているわけではない。そういう意味で、ここ(記者会見)に来た方々の助けも必要になってくる。
 代表を車に例えてみると、全員が車を後押ししなければならないと思う。今の日本の状況を見ると、一時的に車が止まっている気がする。だから、全員で押さなければならない。
 奇妙に聞こえるかもしれないが、私は最初に日本代表チームを“日本化”させることを試みる。組織的で具体的なよりよい方法で、日本選手が本来持っている力を最大限に引き出すことが必要だ。
 これは、初心に帰って、日本らしいサッカーをしようということ。

反町 オシムさん同様、こうして選ばれたことを光栄に思うのと同時に、ここに集まったたくさんの方々の期待を感じていますし、責任の重さも感じています。
 若い世代が、これからの日本のサッカーを支えるという意味ではU-21の世代は非常に重要になってくると感じています。
 この仕事の大きなものとしては、やはり選手をセレクトするということがかなり重要になってくると感じています。なるべくいい素材を選んで、オシムさんのスパイスをかけながら、なるべくおいしい料理を作れるように、やっていければいいと感じています。

 今年度は早速8月の初めに合宿をして、U-21中国代表との試合があって、そこからアジア大会まで、広い視野を持って裾野を広げて、これから日本を背負っていくような選手をたくさん、育成というか、経験を通じての成長という形になると思いますが、その手助けをしたいと思います。

■日本はどうして多くを期待し過ぎたのか?

――川淵キャプテンとオシム監督に質問したいのですが、今回のチームの出発としてワールドカップ(W杯)での失望がありますが、問題点をどうとらえているのか、失った自信をどう取り戻していきたいと考えているのかお聞かせください

川淵 技術的なことに関しては、私は今後、あまりコメントをするつもりはありません。日本サッカー協会の技術委員会が8月中に、取り組むべき問題を分析して、報告を受けて、私が再認識する形になります。敗戦に対する私なりの感想はありますが、ここで触れることはやめた方がいいと思っています。

オシム 川淵会長自身が触れないとおっしゃったので、私はどう触れたらいいのか。W杯の時に現場にいなかったので答えるのは難しいが、私は説明するよりもむしろ質問をしたい。ドイツでの失望というが、失望というのは、より多くのものを望み過ぎたからするものだ。そういった楽観的な見方はどんな根拠に基づいていたのか?
 理由として、ひとつはこちらが十分な情報を持っていなかったのではないか? ということが挙げられる。もうひとつは正しい情報を得ていたが、相手チームを見下してしまったのではないか? ということだ。
 日本が多くを期待し過ぎた原因は、どちらなのか?

 私のこのコメントに対して、がっかりした人もいるかもしれない。だが、物事は現実的に客観的に見て、未来のことについて話し合っていかなければならない。
 ただ、自分たちの能力以上のものを望むと、そこに待っているのは失望ということになる。

――代表選手の選考基準について、両監督の考えは何でしょうか

オシム 世界基準を持っている選手と日本の基準を持っている選手がいる。大事なことは基準を満たすという話よりも、現在のサッカー(のトレンド)を集中的に見ていくこと。ただし、他国のまねはすべきではないと思う。そして今後のこと、これから先のことを考える必要がある。

反町 選手を選ぶ基準ということでいえば、古い言葉になりますが「心技体」という言葉があります。この言葉の最初には「心」がきます。つまり、サッカーに対するハートの部分。この部分は非常に大切になってくる。その次には技術、体力というものがくる。サッカーの場合は、ゲームをするわけですから、さらに戦術的な要素もかなり含んでくると感じています。大まかにその4つが、選手を選考する際に大事になってくると思います。ただしゲームを見ただけでは分からない部分も、たくさんあるわけですよね。そうなると、(選手と)コミュニケーションを取ったり、チームの指導者や関係者と話をすることで、何らかのヒントが得ることができると思うので、これからはそうしたことが大事だと感じています。

――トルシエ監督が退任してからの4年間、日本はW杯で結果が残せていませんが、オシム監督は2010年でよい成績を残せるように、具体的にどんなプランを考えていますか

オシム まず、そのような比較はしない方がよいと思う。2つのW杯はそれぞれ状況が違うからだ。2002年は共催とはいえ、日本は開催国だったのでホームで戦うことができた。しかしジーコの時は違っていて、準備の面やさまざまな側面など、その時に直面した状況の方が難しかったと思う。それに以前にも申し上げたが、今回のW杯での成績は、がっかりするようなものだったと考える必要はないと思う。私だけではなく、川淵キャプテンや反町監督とも、これからいろいろ考えることだが。

 ここで申し上げたいことがある。日本は経済的にも政治的にも、非常に進んだ先進国である。しかし、いろいろな分野で日本が世界でトップの国だからといって、サッカーも同様であると結論付けるべきではない。日本は先進国だが、すべての分野でトップというわけではない。(W杯で)どういう成績になるかは自分自身の仕事にもよるが、それ以上に選手のプレーにかかっている部分が大きい。
 サッカーは今後もいっそうスピーディーなスポーツになるということ、そしてさらに発達するスポーツである。常に進化するサッカーに、こちらも追い付かなければならない。これは、皆さんもよくご存じのことなので、いまさら繰り返す必要はないとは思うが。

――日本らしいサッカーを目指すと言っていたが、前のチームとどのあたりを変えていくのですか

オシム 近い将来、身長の高い選手を見つけることは難しいと思う。それが決定的な問題ではないが、もし見つけたとしても、その選手が日本人らしいサッカーをするとは限らない。私が考えているのは、日本人の持ち味をいかに生かすことができるか、ということだ。日本は、ほかのチームにないものを持っているわけで、それを生かすことが大事である。具体的には、素晴らしい敏しょう性、いい意味での攻撃性やアグレッシブさ、そして個人の技術。ただし、その個人の技術が、チームのために生かせていないようにも思う。ほかにも考えるべき点がある。例えば走るスピード、展開のスピード。これまでの日本代表は、スピードのあるチームではない。もっとスピードのあるプレーができると思う。まあ、話が長くなってしまうので、今日はこれぐらいにしておこう。

■今までの主力選手をそのまま残す

2008年の北京五輪を目指すU-21代表監督に就任した反町氏は、A代表のコーチも兼任する【 スポーツナビ 】 
――両監督へ、代表チームはそれぞれ活動期間が取れない中、どのように強化を進めていくのでしょうか

反町 シーズンは必ずゲームが週末、またはウイークデーにあるわけで、それはJリーグ、大学、高校も変わらない。その中で(選手を)招集していくのは、どこの国も同じだと思うわけです。そこで、各チームの協力を得ながら代表を強化していく形になると思います。
 ただし若いチームということで、所属チームでゲームに出ている選手が少ないという現状を考えないといけない。先日の水曜日のゲームでも、U-21の世代でスタメンで出ているのが7パーセントくらいなんですね。その率が上がってくれば、当然選考も簡単になってくると思いますが、そうではない事実を踏まえると、ゲームを経験してもらうことが第一だと考えています。それを各クラブに任せることになると思いますが、遠めで見るのではなく、なるべく近くで見られるように、各クラブと協力していきながら強化していくのがベストだと思います。つまり、J1、J2、JFL、大学も含めて、ギリギリの戦いの中で選手の力が付いてくると思うんです。それを増やせるように、各チームには依頼していくつもりですし、そうでなければいけない。そうした中で、より優れた人材を集めて、それにさらに強化を加えていって、という考え方がベストではないか、という印象を持っています。

オシム 皆さんも(代表強化の)スケジュールをご存じだと思うが、非常に過密なスケジュールだといっていい。近いうちに2試合(8月9日にトリニダード・トバゴと親善試合、16日にアジアカップ予選のイエメン戦)があって、この2試合は重要性という点で、やや違ってくると思う。ただ私の考えとしては、親善試合というものは存在しない。スケジュールを変えることは、もはや不可能だ。だから、この過密スケジュールの中で、自分が何をできるかということを、まずは考えないといけない。
 基本的には2つの方法が考えられる。ひとつはラジカルな変化。根本的に何かを変えるということ。多くの方が、こうしたやり方を望んでいるのだろうが、それがいいとは思わない。それから(もうひとつは)今までの主力選手をそのまま残すということ。もちろん選手といろいろ話をして、よりよいプレーができるようにすること。あまり時間がないので、現時点で新しいことや違うことは、やらない方がいいと思う。代表(の強化)には、もっと時間が必要だ。今この時期は、何か望ましくないことが起きても、文句を言わない方がよいのではないか。私はそう思っている。

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久米宏ジーコジャパン検証(抜粋)

久米宏特番ジーコジャパン検証(2006年7月21日、金)(抜粋です。久米宏の感想などはカット)

主に鈴木通訳の言葉の抜粋:通訳:鈴木國弘

オーストラリア戦前のジーコの指示
:オーストラリアは高いボールを入れてくるに違いないから、それに注意しろ

ハーフタイムの指示
(鈴木)1-0の、うちのリードした時のプレーの仕方があるんですね。ボールを回しながら、相手の隙を見てどこかで追加点。
ジーコ:これだけの暑さだから、とにかくボールを動かせ。ボールを回しながら追加点を狙え。
鈴木:慎重にやりながらも「攻めるんだ」ということは、分かっていたと思うんですよね。

後半34分の小野投入。小野への指示
鈴木:特別な指示はなかった。彼の能力、キープ力、ボールを散らす、スルーパスも出せる。この時点では絶対にボールをキープしたかった。なんとかうちがはじき返したボールを、特に中盤でセカンドボールをキープしたかった。
宮本:僕自身はボールをしっかり回すという。そして時間をつぶすという交代なのかなという印象は受けました試合中に。
中澤:守備に戻るな前でプレーしてくれと指示された小野
小野:福西さんを1人にしても大丈夫だろうと賭けにでました
(小野は前に出て攻撃的なプレーを開始する)
中村:中盤の守備が最初は二人いたのに福西さん1人という中途半端な状態になった
(番組では、この小野投入を失点への助走が始まったと指摘)

後半39分、ロングスローからの川口の飛び出しミスからの同点ゴール
同点ゴールについて
鈴木:ジーコというのは基本的なパターンを動きを選手に教えて伝達して、その後はケースバイケースで、選手の自由なチョイスを与えているわけですね。ただ、かなり長いロングスローはやってくると情報にあったわけですよ。何回か練習したんですけども、あの時に川口が、あのボールに対して出てくると。出てくるような動きをしてなかったという風に思うんです。でもそれを任せたのはジーコだし、選手が個人個人でチョイスする。でも基本的には練習でやった形をやろうよというのが、ジーコのスタンスでもあるんですけども。

1-3での敗戦後
鈴木:ショックも大きいですね。こんな展開になっちゃって。冷静に見ていられる人いないでしょう。(ジーコの終わった後の様子は?)監督は、この試合、1回も「勝て」とは言わなかったんです。勝てるような準備をしてきた訳だから、もう全力を出せ、目標に向かって。目標というのは勝つこと。「勝て」と言ったことはないんですけども、ただ「負け方」というのが厳しかったんじゃないかと。ただ、それを引きずらないようにというのが、ジーコの頭の中にあったと思う。

(番組)トルシエを規律で縛り、選手を機械の歯車のようにするサッカーと規定。ジーコは自由で攻撃的なサッカーをしたいと言った。

それへのジーコの反論(2006年5月16日)
ジーコ:規律で選手をしばれるという考えは机上の空論でしたかありません。そんなことで選手を引っ張っていけるかというと、非常に難しいと思います。大事なことは練習を通して1人1人の選手に自主性を持たせることです。そのために選手とは常に話をして、お互いの気持が分かりあえなければならないと思います。

自分たちで考えて自由にやれというジーコの考えは、今の段階の日本代表に最適だったのか?
鈴木:自由というのは「選択の自由」なの、自分たちの。基本的なゲームプランというのはあるわけですね。イメージトレや練習の時も、ずっと含めて言うんですけども。絶対に、ジーコが言うシチュエーションだけではないわけです。何百何千というシチュエーションがある中で、自分たちで判断して動いていいということ。例えば、Aという選手がボールを持って前に出た。その時は必ずカバーリングする。カバーリングするのは誰でもいいんだけれども、「お前がカバーしろ」。そういうコミュニケーションができていれば、どんな選択をしても構わない。

(中田英寿に関して)
鈴木:前の監督との色んなやり取りの中で、行き違いがあって、「もう自分はいいかな」というような思いを持っている。ジーコは「絶対に中田を呼ぶんだ」と。「いいんだ。やっぱり能力がある」と。それでジーコとヒデが30分話したんですかね。それでヒデが「それならやってみる」という形になったんです。

(番組:自分の考えをはっきり言う彼は、時としてチームから浮いてしまうことがあった。2005年3月23日テヘラン、紅白戦のさなかに中田と福西が口論になった、その時のジーコ)
ジーコ:これでいいんだ。殴り合いになれば止めに行こうと見守っていた。
鈴木:ヒデの発言の仕方、表現の仕方と、周りの受け方というのはギャップがあったんじゃないですかね。ヒデが浮いてるというのはジーコも分かるし。(食事の時も?)1人で離れて、そのうちスタッフと食べたり。そこをジーコはつくわけですね。「やり方があるだろう」。もう少し受け入れられるやり方。自分を捨ててというわけじゃないけれども、自分の要求をチームに伝えるということが大切なら、少し回り道をしてもいいんじゃないかと。そういう表現ですよね。それでジーコがね、「実は俺も昔そうだった」と。「自分はけっしてバリアーを張ってるつもりはないし、人を遠ざけているつもりもないけれども、何か人が寄ってきてくれない」。でも自分はチームメイトなわけです。なんとかしてというと、やっぱりどうしても自分が他の選手のところに自分から入っていくしかない。そういう努力をしないと、もう一皮むけないぞと話したことを覚えていますね。

(ジーコは何よりチーム内の雰囲気を大切にした。長い時間共に過ごすことによって生まれるチームの和。選手へのリスペクト)
鈴木:ジーコが「俺が監督だったら」という話を一回したことがあるんですよ。まず雰囲気作りから始めるなと。Jリーグってすごいハードなスケジュールで、選手達は本当に疲れ切っているわけですよ。だからサッカーで一杯一杯になっているんで、代表に来たらアットホームな形で、ご苦労さんと。みんなエリート集団なんだから、自分たちで楽しんでサッカーやろうよ。だけど国を背負っているわけですけども、そういう雰囲気作りからやりたいと言ってましたね。(マスコミの前で選手の悪口を言わないと?)絶対に言わないですよね。(1人になった時は言うんじゃないですか?)ぶつぶつはいいますよ。それは俺に対して言ってるんじゃなくて、独り言言ってるのは聞こえるわけですよね。「なんであのボールが入らないんだ。なんでこうなったんだ」というようなことは言ってますよ。絶対に公の場では言わないですよ。通訳してて思うんだけども「どうやってかばうんだろう」と。なんか独特な、ちょっと支離滅裂かなと思うような理由をつけながらかばうわけですよ。素人が見ても、こいつ最低だと思うときでも、どんな理由をつけてもかばうわけですよ。自分が大事にしてる選手をボロボロになりながら守ってきたわけですね、最後まで。

クラマー氏(現在81歳)登場
クラマー:(ジーコは選手が自分たちで考える、自由を与えたんですが、これは日本には早すぎるという意見もありますが)まったくそんな事はありません。「日本には早すぎる」ということはないのです。監督は色々な約束事を設けることはできます。しかし、約束事を消化するのはあくまでプレーヤー自身なんです。監督は試合に出ることはできません。つまり所詮ベンチからは何もできないのです。だからこそ、プレーヤー個々に自由がなくてはならないし、その場その場での瞬間の判断ができなくてはならない。つまり自主性を持っていないといけないのです。川淵や釜本に聞いてみてください。私は彼らに自由を与えました。その理由は彼らの個性を伸ばすためです。個々の選手が生まれながらに持っている才能を引き出し、それを伸ばすためには自由が必要なんです。私はジーコのやり方に賛成します。

ジーコの10歳上の姉姉(マリア・ジョゼー):(4,5,6,7歳ぐらいのジーコはどんな子供でしたか?)。ジーコはとにかく几帳面な子供でした。いつもお兄ちゃんが遊んでくれるわけじゃなかったので、よくひとりでサッカーゲームをやってました。でも、それがいつもフラメンゴ対フラメンゴなので、必ずフラメンゴが勝つんです(笑)。しかも試合の結果を丁寧にノートに書き込んでいました。そのノートも整理して大切に保管するそんな子供でした。(ジーコの華奢だった身体について)栄養士の指導のもとで食事療法もしていたんですが、ジュースが見あたらないと「僕のジュースはどこ」って探してました。私は毎日、オレンジやニンジンやトマトが入ったミックスジュースをジーコのために作っていました。

2006年1月のジーコ
ジーコ:(ブラジルにいるジーコさんと日本にいるジーコさんは違うんですけれども)今は仕事を離れて子供や家族に囲まれていますので、そりゃ仕事中の顔とは違いますよ。(監督の面白さはどこにありますか?)フラメンゴの時とは違って、私の満足や喜びは選手としてゴールを決めたり良い試合をすることではありません。大事なことは日本代表チームをちゃんと機能させることです。そのために重要なことは若い選手を成長させ一流プレーヤーにすることです。以前から私はいつも言っていることなんですが、日本人のヒーローが必要です。そこで初めて日本のサッカーは成長すると思います。今は監督でいることが私の喜びです。でも少し髪が薄くなりました。白髪も増えたし、(監督してなかったら、もうちょっと良かったですか?)多分ね。この白髪だけど、こっちは小笠原でこっちは中村そして中田。名前がついてるんです(笑)。

6/14ボン(クロアチア戦前)
ジーコは守備のシステムを3バックから4バックに変更した。そして珍しいことがあった。ジーコが中田ヒデを呼んで、「あまり前に出すぎることがないように」注意した。これまで中田にはほとんど注文を出していなかったジーコ。何かが変化していた。

6/16クロアチア戦前にボンにある日本食レストラン「上條」にて選手達だけで決起集会を開く。注文はすき焼きだった。笑い声が響いていたそうだ。店主は話の内容に関しては、全く触れず。(あえてとぼけてたのかな?)

(6/17)試合前日のフランケンシュタディオンでの公式練習、通常、ピッチの上で行われるミーティングが、この日に限ってはロッカールームで行われた。ジーコはスタッフを外に出し、選手だけに話しかけた。「私の指示通りに動いてくれ」。細かい戦術は選手同士の話し合いに任せてきたジーコが。今までにない言い方だった。

鈴木通訳:ずっと今まで4年間そうだったんですけれども、選手達がそれぞれ自分の考えを言い合うというのは、このチームは普通だったんですよね。でも、やはりクロアチア勝負ですよね。クロアチアに負けたら全然可能性がない訳ですから。第1戦に負けた事によって、選手達も次は勝たなくてはならない。そうすると気ばかり焦ってしまって、自分で「こうしなくちゃいけない。ああしなくちゃいけない」。あれだけの人数がいるわけですから、23人がもうほとんど考え方が別ですね。話し合ってはいるんですけども、そこでまとまったものが出てこなかった場合、後で悔やみ切れないという気持がジーコにあったので、「ここは自分に任せてほしい」と。良くても悪くても自分が責任を取る。自分の指示通りやってくれと。クロアチアに対して、どういう守備的なものを取るのか。相手のエンドに行ってボールを取られますよね。その時に、そこではプレッシャーをかけずに、全員が一回引くんだと。ハーフウェイラインまで。

ジーコの指示:守備に関すること。相手の陣内でボールを奪われた場合、その場所ですぐにボールを奪い返しに行くのか、それとも一度全体が下がって立て直すのか、その判断は今まで選手に任せてきた。しかしクロアチア戦を前にして、ジーコは監督としての考えを明確に打ち出した。一度全体が下がって立て直せと。

鈴木:(初めてですよね具体的な指示は?)そうですね、あの種の指示は、流れの中ではやっていたんですけども、ああいう風に具体的に指示を出したのは初めてですね。

6/18クロアチア戦
鈴木:(前半21分の川口のPKストップについて)独特の能力ですよね、能活の。この時に彼に聞いたんですけれども、最初は呼んで飛ぼうかと思ったんですって。蹴る前に、「いや、これは待った方がいい」と。「ボールに反応した方がいいと思った」というんです。

発熱が伝えられていた中村について。中村:試合前にジーコに「先発を外してもらってもかまわない」と言った。そしたらジーコは「変えられない。それで何を言われようが、自分が責任を取るから、だから「代えてくれ」とか言うな」と。

鈴木:(中村の体調に関して)熱もかなりあったんですけれども、試合の前は下がってたんですね。ドクターもこれなら行けるでしょうという判断でいったんですけども、本来の調子とはかけ離れていて、でも、それでもジーコは使うわけですよ。一発のスルーパスというのは、今まで色んな状況の中で、彼はチームを救ってきましたし、FKとかで。最終的にこういう拮抗した試合の中で、試合を決めるのは個人の技術だという考えなんですよ。

鈴木:(後半6分の柳沢のドフリーのシュートミスについて。完璧に1点取れるシーンですよね?)はい。プロとしてしょうがないですよね。騒がれてもこれは。本当にコメントするの難しいですよね。何だろう。これって。4年間、ずっと練習してきているわけですよね。特にジーコが言うのは、「どうしてあのボールが枠に行かないのか」とか、葛藤があったと思うんです。そういう点を抑えて。自分とレベルが違う下の人間の良さを発揮させながら、高めていくという忍耐力はすごいものだと思いますよ。自分でうあれば簡単に入るわけですから。なんであそこにボールが行かないという方が理解に苦しむレベルから。ずっと我慢してるわけです。彼は自分でできるだけに余計に辛かったんでしょう。何かW杯独特の雰囲気とかあったんですかねえ...。(かなりショックでした?)本当、元気なかったですね。

1990年2月6日、マラカナンスタジアムでジーコの引退セレモニー

ジーコ:(91年になぜ、日本のアマチュアの2部のチームに行くことにしたのか?)理解してもらえるかどうか分かりませんが、私が住友へ行ったのはサッカー選手として行ったのではありません。サッカーをプレーしたのは、日本サッカー発展のためでした。プロのサッカーとはどういうものなのか、プロの選手としての振る舞いはどうあるべきか。日本はサッカーのプロ化を望んでいましたので、その種の導きを必要としていたのです。

妻サンドラ:(なぜジーコは日本へ?)本当のことを言えば、私もびっくりしました。急に何か決めちゃうんです。いつもそうです。ただ約束した人は必ず果たす人です。それに彼はチャレンジが大好きなんです。いつも言うのだけれども、自分はそのために生まれたって。だから日本へ行ったのも一つのチャレンジだったんでしょう。(ジーコの欠点は?)欠点は誰にでもありますから、もちろんジーコにもたくさんあります。例えば新聞を読んでいる時に声をかけてもまるで上の空です。特にTVでサッカーを観ている時などはひどいもので、まるで人の話は聞いていません。子供たちもしょっちゅう文句を言っていますよ。

住友金属に初めて来た時のジーコの挨拶
ジーコ:どんな時でも常にサッカーをうまくなりたいと考え続けて欲しい。うまくなりたいと思って練習し続ければ必ず日本サッカー界でチャンピオンチームになれると私は確信しています。
*ジーコは情熱を持ってチームメイトにサッカーの指導を行った。その姿は鈴木によれば「鬼軍曹」のようだったという。

鈴木:(ここで住友金属の指導をしてる時は楽しそうでした?):怖いというか楽しそうといか、「全てを変えるだ」という情熱がたぎっているわけですよね。みんな同じような感じで、常に怒られてるというか。彼にとっては「怒る」という感覚じゃなかったんでしょうけど。ああいう物のしゃべり方をする人だから、それが情熱こめてしゃべるから。受ける方にとってはつらかったです。毎日。地獄のような日々でした。「明日は何を言われるんだろうか」とか。当時はジーコは上野毛(東京都世田谷区)に住んで、車運転して帰るわけですよ。自分で運転して。その時に、たまたま乗せてもらった時に、止まるたびにハンドルに頭ぶつけて「ダメだぁ!」と言うわけですよ。最初、ずっと「ダメだぁ!」を聞いてたわけですけども、「何がダメなんですか?」と聞くと「どうしようもない。俺はここで何をやっていいか分からない」と。もうあまりにもレベルが違いすぎるということですよね。一生懸命やってるんだけれども、どうにもならないと言ってるわけですよ。こちらとしてはなんとも言いようがないわけですよね。で、翌日、こちらに来るんですけど、車で。その時は別人になってるわけです。「今日もいくぞ~!」と。またうちひしがれて帰ると。その連続です、当時は。

鈴木:ファンの方達を大切にするんですね。プロとして何十年も生きていると「この人たちがいるから自分たちは生きて行けるんだ」と。入場券を買ったり、あるいはスポンサードでやってくださる方のために。だから、必然的に時間があれば必ずサインをする訳です。どんな時でもとにかく。そこら辺がプロ意識。こんな細かいとこから、いかに自分達がボール蹴って、本当、サラリーマンの人たちが羨むようなお金をもらって、いい車に乗ってられるのは、みんなこの人たちのおかげだと。あの人は、本当にそれを実行するわけです。

1993年5月16日Jリーグ開幕、鹿島スタジアムでの対名古屋戦。ジーコのハットトリック。ジーコは日本の15年間での最大の功績は開幕戦ハットトリックだと答えている。
鈴木:私は意味が分からなかった。どういうことなんですか?と。あの時に世界はJリーグが発足したというのは知識として持っているんだけれども、本当にアジアの島国、日本という所で、たまたまJリーグというプロができたという認識しかないんです。ジーコがハットトリックすることによって、そのことが世界にニュースとして流れるわけです。「ジーコもやってるんだ」と。ということは、ある程度本気なんだなと、日本という国がね。ここまでジーコを呼んでまでやるんだという。あれから世界が日本に対して注目しはじめた。本当に讃えられることができるのは、あのハットトリックだと。

日本での引退後、1994年、リオにジーコサッカーセンター設立。
ジーコ:(何もしない、休憩するという考えはないんですか?)ないですね。私は何かを生み出すということが大好きです。何もしていないと15日異常は耐えられないと思います。人生は絶えず動いていなければならないと思います。今は休んでいても新たなモチベーションが出てくると思います。今している仕事も新しい仕事につながるかもしれません。それが人間の人生ではないのでしょうか。新しい挑戦を探している人は、日常のマンネリ化にはまってしまうことがこそが危険なのです。(これまでの人生を総括すると?)神から多くの恵みをもらっていることに感謝しています。自分としても最大の努力をしました。それに対して多くの見返りを全ての面において受け取っています。

6/22、対ブラジル戦
ブラジルの先発メンバーはジーコの予想を裏切るものだった。
鈴木:情報が入ってジーコが考えてるメンバーと違ったわけです。相手のスタメンが。若手を入れてきたんですけども、これ見た時に「うわっ!」て言ったんです。「どうしたんですか?」と。「これはやばいぞ」と。「どうやばいんですか?」と。「多分、これが最強のブラジルだ」と言うわけですよ。なぜまずいかというと、彼らは運動量も豊富だし、たまたまきたチャンスなんで、ものすごくアピールしますよね。もうモチベーションも十分ということで、ある程度誤算というか、そういう部分がジーコの頭の中によぎったと思うんです。(クロアチア戦と同じメンバーできた方が良かったわけですね?)そうですね。(VTRを見ながら、この試合はいい試合でしたね?)いい試合でしたね。少なくとも前半、本当にいい試合でしたね。守備もしっかりしてたし。(前半34分の玉田のゴールについて、ジーコ、嬉しそうですねえ?)最高でしたねもう本当に。この世の春みたいな感じですね、ここまでは。本当に2点目はいるような気もしてましたし、このブラジルのディフェンスついていけないですよ、斜めの動きってついていけないんですよ。確実にゴール見てシュート。ここで見てますよね。これは素晴らしいシュートですよ。(特に玉田への指示は?)練習の時に、本当に厳しいことを言われましたね。ちょっとでもミスすると「お前は、全部枠に入れなくちゃいけないだ」というようなことで、かなり個人的にも言われてましたよね。いまいち玉田が元気なかったんですよね。本来の玉田に戻そうと監督思っていて、わざと玉田に関しては強く言ってましたね。(前半のロスタイムの失点について、)もう全く想定外ですよね。ここで1点入れられる。選手もそうだったんですけども、サポーターの方達も全員そう思ったんですけれども、あの時ね、選手が引き上げてきたわけですよ。もう全員下向いてんですよ。ここで1点取られるほど、サッカー、明暗分けることはないんですね。逆にブラジルはここで「ダーッ」と盛り上がちゃうわけです。「行けるぞ」と。あの時にジーコ初めてね、語気を荒げそうになったんですよ。「こんな点をこんな所で取られて、うーん、まあ、いいや、しょうがない」という感じでしたね。俺もそのまま訳しましたよ、同時で。「何でこんなところで点取られるんだよ!まあ、しょうがない」と。「取られたものはしょうがない。頭上げて行こう」と。選手も同じこと考えているわけですよ。だからみんなこんな風(下向いている様子)に。負けたようなベンチ、ロッカーなんですよ。(後半のビデオを見ながら)シュートをよくジーコが言っているように、(ブラジルは)常に全員がゴールを狙っているんですよ。ということはボールを回している時でも、誰1人としてボールを回すためだけに回しているんじゃないんですよね。必ず見てるんですよ、ゴールを。そこがブラジル人の凄さだと思うんだけども、ただ単にプレーしてるんじゃないですよね、常にゴールに気持が向いてるわけです。だから、強いんですよね。日本はだいぶ良くなってきたんですけれども、一時は、「日本って全然怖くない」て外国人は言っていたんですよね。特にブラジルの選手と話して、「日本全然怖くない。だってゴール全然意識してないもん。球すごく回っているんだけど、あんなの回させてるんだよ。でも韓国になると、韓国は日本より技術は下手だけど、全員がゴールに向かってくる。その怖さがある」と。(ブラジル戦後のジーコは?)選手それぞれ思いはあると思うんですよ。いろんな思いがあの中に交錯してたんですけども、うちらから見ると、本当に絶望、絶望というか、呆然自失というか、あの球回し見せられた時に。まずベンチで言ったんです「何とかなんないですか?」と。すんごい球回っているわけですよ。「お前、言っただろう。ブラジルはリードしたら、絶対、これやってくる。これやれせちゃダメなんだ」と。逆に言ったら、「ああ、始まっちゃった」という感じですね。これ始まっちゃったら、そう簡単には止められない。反則で誰かあのリズムを止めてしまうか、カード覚悟でね。それしかないんですけども、それすらやる余裕が残っていなかった。選手達も同じ事感じてたと思うんですよ。とにかく触れないわけですから、相手の体にさえ。本当に完璧なボール回しですよ。ジーコの頭の中にはリードしたら、これが常にあったんですよ。それを目の前でやられてる悔しさと、かといってどうすればいいんだと。少なくとも俺が感じたのは、あまりにもとんでもないものを感じてしますと人間涙が出てこないですよ。何がなんだか、よく分からない。この空気は何なんだろうと。で、4年間が終わってしまった。本当に日本中を巻き込んで、やって4年間、それが、こういった形で終わってしまったと。本当にいろんな気持が交錯してね、口も聞けないような状態。まともに物が判断できない状態。独特の雰囲気でしたね。

来日して15年、日本代表監督に就任して4年、ジーコは何を残したのか?

ジーコラストメッセージ:日本は私が安心して仕事をするためのサポートをしてくれました。多くの人々が私のためにしてくれたことに感謝します。今の日本は私にとって故郷です。日本に来るのはブラジルに帰るのと同じです。私の中では違いがありません。それはみなさんの愛情があるからです。私の仕事を信頼してくれた日本にありがとう。

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2006年7月19日 (水)

ドイツW杯チケット相場、全体的な感想

代表監督にオシムがほぼ確定し、J1も本格的に再開し、なでしこのW杯最終予選も始まっていますが、自分なりのドイツW杯総括も終わってないので、いくつか書いていきたいと思います。まずはチケットについて。

フランスW杯の時もそうでしたが、今回もチケットは1枚も持たずに現地へ向かいました。(普段、夜中にネットに張り付く余裕がなかったことが最大の原因です)「まあ、行けばなんとかなるやろ!フランスの時も、どうにかなったし」。まあ、こんな感じです。行って現地で必死にやってればなんとかなるものです。

最大の懸案事項であった名義チェックには結局一回もひっかかることはありませんでした。あれだけ声高に「名義チェックをやる」と言っていたのは、結局、ブラックマーケットへの牽制の意味が強かったということでしょう。開始2時間前とか暇な時は別ですが、基本的には「見た目で怪しい人間」を調べるために、あの機械によるチェックシステムを導入したようです。(完璧に名義チェックをやっていたら、おそらくどの試合も空席がかなり目立つ大会になってしまったはずです)。日本人、ドイツ人でさえやらなかったということは、4年後の南アでは、まずないと思っていいでしょう。

またドイツ人らしくシステマティックにチケット販売した今回ですが、そのシステムの穴をつく人物もいました。私も「ドイツ対アルゼンチン」でやられましたが、「チケット到着後リセールする」という手口です。詐欺師たちはダフ屋価格でチケットを売りつけた後に、売りつけたチケットをリセールし購入代金も回収しています。悪徳坊主丸儲けのような感じでしょうか(苦笑)私がやられたのはアルゼンチン人でしたが、日本のヤフーオークションでも、結構、この詐欺にあった人がいたようです。この詐欺の質の悪さは、チェックゲートにある機械にチケットをかざしてみて初めて分かるという点でした。なにせ見た目は本物のチケットで、違うのはICチップの中だけですから。結局、完璧なチケット販売システムというのは、存在しないのでしょう。

国別の相場としては、(あくまで自分が「I need ticket」をやってみた時の感触からですが)、1位:メキシコ、2位:ブラジル、3位:アルゼンチンという感じが気がします。(イングランドは、あまり見る気がなかったのでやってません)ラテン系の国は予想できましたが、ヨーロッパでやる大会にしては、ヨーロッパの国がらみのカードはそんなに相場が高くなかったような気がします。メキシコは、金持ちのサポが大量に渡独したことが、ブラジルも「サポの多さ+誰もが見たい」ということが影響してるようです。そういう意味で日本の試合は他の国の人々にとっては見たくなるような試合ではなく、相場もフランス大会の時に比べるとかなり安いものでした。(特に初戦のアルゼンチン戦は異常でした。目の前で「チケット1枚、3000フラン。2枚で6000フラン」で買った人がいましたが、近くの外人は「クレイジー」とつぶやいてましたねえ)現地では、結構、日本戦のチケットを余らせてる人がいました。現地で売って旅費の足しにするつもりだったのかもしれませんが、おそらくかなり当てが外れたのではないでしょうか。

フランス大会時、2回ほど「お前ら日本人が高い金額で買うから、俺達が買えなくて迷惑してる」と言われました。他の日本人でも、同様の事を言われた人が結構いました。今回は、全くいわれませんでした。そんなに相場からかけ離れた金額でポンポン買う日本人が減ったということでしょう。W杯も3回目ともなると、かなり手慣れた様子でチケット交渉をしてる人が目立ちました。ダフ屋相手ではさすがに楽しめませんが、普通の外国人相手に金額交渉するのは結構楽しいものです。それもW杯の楽しみ方の一つでしょう。「チケット交渉においては日本人も世界標準に追いついた」と。ドイツ大会で見る限り、そう思います。

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2006年7月18日 (火)

中田英寿引退番組を見た単なる感想

外部から代表を観察していた多くの人間(ネットをフルに使って物事を考察できる人間)が想像できた「代表内部での出来事」を、当事者の1人である中田英寿本人が証言し裏付けただけの番組。(ただし情報源がTVもしくはスポーツ新聞のみの人は衝撃を受けたかもしれない)あとは中田の個人的な他の代表選手への好き嫌いが、名前は出さないが明らかにされている。しかし、最後の大舞台を台無しにされたことで、ヒデの腹の中には、かなりたまっていたものがあったようだ(苦笑)

代表は最後まで分解したままで、とうとうまとまることはなかった。チームの戦い方の意思統一を図るのは本来ならジーコの仕事だが、ジーコはそれを監督の仕事とは思ってなかったようだ。(そのことに対してジーコを責める気にはなれない。一番責められるべきは、独断専行でジーコを監督に据え、不安要素にあえて目をつぶり4年間任せた川淵三郎である。何回も書いたけど)ドイツW杯での敗戦には、さまざまな原因があるとは思うが、もっとも大きいのは、チームの戦い方の意思統一ができなかったことだと思う。アトランタ五輪では大会中にチームは「壊れた」が、この大会では始まる前から「壊れていた」のだ。中田はそれをこの番組で暴露したにすぎない。

アトランタ五輪では金子達仁の、おそらく最初にして最後の傑作「28年目のハーフタイム」が生まれたが、今回はどのような暴露本が出てくるのだろう。相当踏み込んだ内容(書く人間は、できれば出場選手に取材できる立場にあり、さらに協会内部事情に精通してる方がいいかもしれない。となると現在ジャーナリスト活動を行っている人ということになる)であれば、結構、本が売れるような気がする。だが、それもある意味、フリージャーナリストの勇気次第だろう。その本を出すことで、小金は手に入るかもしれないが、サッカー関係の取材は、今までとは違って(協会の圧力で)かなりやりにくくなるはずだ。それでも本は出す価値があると思う。今、現在、あらゆる部分で権力を持ちながらも、ネットを重要視してない人間が、まだかなり大多数をしめるだろう。その人間達にも届かせるためには、「本」や「新聞」というメディア形式で出すことが必要なのだ。今のサッカージャーナリズムの内部に、その勇気が持つ人間がいるかどうか。そのことも日本サッカーの成熟度を測るものさしになるに違いないだろう。

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中田英寿引退特別番組(抜粋)

中田英寿引退特別番組、2006年7月15日(TV朝日)
オールスター(17:00~19:00)の後のGタイムに放送
29歳、(チェコ・プラハにて撮影、ブラジル戦から3日後の撮影)

ざっとしたコメントの抜粋

中田:自分がみんなの期待に100%答えられなくなった。感情を素直に出すことが難しくなっていった

6/12、対オーストラリアについて(中田)
:3試合を通じて、セットプレーでいい形ができなかった
:前半26分の得点、相手が慌てはじめる。これが自分たちにとって楽になる。
:ボランチとDFラインの間にいるキューエルとブレシアーノの対処。最初から、「坪井がキューエルにつく」とか決めてしまった方が非常に楽だった。
:後半、FWがかなり疲れていた。そこでトドメを刺しにいけるFWに交代しなかったことが分岐点だったと思います。正直、疑問だったんですけど、「なんでここでシンジなのかな?」と。後半34分。「1点は取られるだろう」という予想。シンジに守備をしてもらって、俺がトドメをさしに行く。でも、思った以上にシンジも前に出てきていた。みんなの意識が揃っていなかった。ジーコも落ち込んでいた。
:トルシエとやった後、「代表はもういいや」と思っていたが、なぜやったかというと、ジーコの人間性があった。疑問の余地はなかった。ジーコの自由。その分、責任が出る。
:ジーコは明確な指示を与えるわけではない。だから場面場面で「どうしたらいいの?」ということが多かった。4年間やってみて。現時点では、トルシエのような、全て命令されてやるやり方の方が合ってるかなと。そっから先に、もう一歩行く。自分たちで決めてやるには、早すぎたと思う。

5/14の中田コメント:精神的なものでもう一段階上に行かないと。
やる気だとか、そういうものはあるんだろうが、それを、いかに表現できるかというのは別の問題で。不安定。技術はあるけども。精神的なもの。

5/23の中田の故障の状態:左足首の故障。プレミアリーグの最終戦(5/7、対バーミンガム戦)から、ずっと痛めていた。国立スポーツ科学センター。水がたまった状態。チームメイトにも気がつかれないように。

キャプテン宮本との衝突(DFとの意見の対立)
:(中田)リスクを少なくするためにラインを高くしなければいけない。相手を自分たちのゴールに近づけないこと。押し上げること。攻撃のためではなく、失点のリスクを少なくするためにラインを上げるべきだ。オーストラリア戦について:前半に関しても、ずっとラインが低くて、後半も、ずっと自分たちのPKエリアの前、あれをやってたら、FW、中盤は、大きなスペースを走り回らないといけない。死んでしまう。自分たちのいいサッカーができなくなる。それが、あの試合の一番のミスだったんじゃないかと..。日本は自分たちのラインが低ければ低いほど、自分たちのサッカーができなくなる。高ければ高いほど、自分たちのサッカーができる。宮本の意見には納得できなかった。

:(宮本)DFを上げるのは、試合の展開しだいだ。展開では、どうしても低くなる場合もあるが、その場合でも、前線との距離が近ければ問題なかった。高ければいいとは思わない。コンパクトであればいい。

W杯、オーストラリア戦後の代表の様子:オーストラリア戦後も、変わらない、危機感を感じさせない練習があった。「集中して練習をやることが苦手なチーム」。「練習の中で厳しさを求めることが苦手なチーム」だった。一番、危惧してたところだ。ジーコが練習で怒ったのは、4年間で、後にも先にも初めてだった。クロアチア戦の3日前、選手だけの食事会、宮本と中田の発案。(しかし、16人しかサインがなかった。これは新聞情報)

対クロアチア戦の中田による検証
中田:クロアチア戦はオーストラリア戦に比べてラインが高くなってるし、それによって、早い跳ね返しができたり、そっからの早い攻撃がある程度できていたんじゃないかと思います。
「よく見れば最後まで可能性を残した。けど、正直な話、僕としては勝てた試合だと思う。それを落として非常に痛いマイナス2だと思います」
隠れてしまっていた問題、突き詰められていた問題が全部出た。膿が出た大会だったんだなという気がします。
追いつめれれているのは、オーストラリアに負けてから、すでにそこから追いつめられている。あとは開き直ってやるしかない。後半6分の柳沢のシュート凡ミス。
普段の柳沢だったら絶対にアウトサイドで蹴らないだろう。クロスは非常に早いクロスなだけに合わせるのはあれですけど、やっぱりいつも来る準備をしてることが重要じゃないかと。こういうパス回しを見ても分かるように、本当に、全員が止まっているんですよね。一つのボールに対してパスコースが少ない。みんなボールを出した後に止まっている。自分たちがパス回しをしてて苦しんで相手に追いつめられている。僕なんか、そういう、ポジショニングを考えてとは言えないから、自分たちのゴールラインに近くなったとしても、敵からのプレッシャーを絶対に受けないポジションでもらわないといけない。みんな止まっている。そして日本のバックラインでのパス回しは右からきたら左、左からきたら右で、変化がないから、相手はただ動くだけ。体の疲れより、頭の疲れを出させる。それが後ろでのボール回しの狙いなんで。相手が面倒くさいと思わせれば勝ち、そこで初めてスピードアップして前に出て行く。それがボール回しの狙いなんですけど。
(クロアチアの攻撃に対して、フクがかわされた辺りで、前半28分)。そこでDFがつめないと行けない。(まあアレックスのことだけどもね)
人数がいてもマークにつききれていない。まあ、僕も、ここでもうちょっと頑張って走らなきゃいけなかったんですけど。それを象徴するシーン(後半9分、4:6で決定的なシーンを作られたシーン)。

アレックスへの個人攻撃(つめにいかないアレックス、クロスを楽に上げさせているアレックス)後半、特に不安定。
:日本のDFは相手の前でカットするということが非常に少ない。他の国に対して比べると圧倒的に少ない。それもマークをきれいにつけようとしすぎるし、他の国のDFは、必ず前でカットしようとする。
後半0-0が続いて、やっぱり勝たないと行けない試合、僕としては前に行きたい。けども、試合の状況を見るとカウンターを受け続けて、前に行ったら、完全に穴が空いてしまって難しいなと。最終的には守ることを選択した。

チャンスのシーンでのポジショニングのミス。
:ゴール前での怖さがない。転んでもいいから点を入れる、そういう泥臭さ、そういうものがない。
どこにどういう問題があるかは、前々から分かっていたことで、みんなが真剣になって、それに向き合ってなかった。

:大事なところで相手に必ず相手の自殺点だったり、ロスタイムで得点したり、どうにかぎりぎり切り抜けていって、それによって隠れていた問題点、本当だったら出ていた問題が全部出た大会だったのかと思う。
調子の波が大きかった。
:自分たちがいいサッカーをやるときのイメージ、悪いサッカーをやるときのイメージ、何が良くて、何が問題かということに、選手全員がみんな同じイメージを持っていなかった。ジーコが激怒するほど、チームに危機感が感じられなかった。
:何が一番足りないか、「気持」。プレーをするときの覚悟、それが一番足りない。練習をやるときでも覚悟が足りないから、厳しい練習ができない。

対ブラジル戦についての検証
HPの「誇り」について:自分自身で妥協してないか、悔いなくやる。全部出す。自分の中でやり残したことがないかと。そういう言葉を使った。バラバラになりそうなチーム。
玉田のいい所:彼はシュートの精度というのはいいものがあるんで。完全にラインにはなってないじゃないですか。これだけばらばらなラインになってるのはありえない。相手がブラジルでも、自分たちのサッカーができる。

ブラジル1点目の解説:人数がいてもマークを見ていない。(中沢のボールの見方に注文をつけてる中田)それをカバーできてない坪井。(言うとかカバーするとか)同点にされた時、この試合、実質、決着がついたかなというところはありましたよね。

僕は、周りの人が思っている以上に日本代表のことを評価していて、すごいみんなうまいし、海外に行ってもできる選手がいっぱいいると思うし、それだけに、彼らが100%の力を出せないことが僕自身も悔しかったし、彼らはいい選手だけども、彼ら自身の力を100%出すやり方を知らない。それをどうやれば出せるのか?そのために4年間、ずっと言い続けてきた。結局、それが、僕の押しつけと取られる部分が、向こうにはあったんだろうし、今回の大会にしても、100%出せれば、予選突破どころか、もっと上まで行ける力が合ったにもかかわらず、100%、自分たちの力が出せなかったことが非常に悔しくて。通用しないとは思って欲しくない。ただ、100%の力を出せていないということに気付いて欲しい。
僕は「頑張る」ということは言わないようにしてる。なぜかと言うと、それは当たり前、最低ライン。そっから何ができるか、。代表だけじゃない。自分の仕事に対して全力でやるということ。あの場に立っている資格がない。今後、どうやれば自分たちが良くなるのか、それを分かって欲しかった。

中田がどうしても伝えたかったこと。最後のロッカールーム
:下手すれば、何にも残らなかった大会。最後にも関わらず。FANメールがいっぱい来て、救われたところがあった。がつがつやってる。覚悟が見えた中田浩二に声をかけた。「今日みたいな感じで続けていってくれ」覚悟を持っていると思った選手。
能活について:昔のヨシカツに戻ったようだ。大人になって大人しくなっていた部分があった。けど、昔の覚悟が出てやってたのかなと。昔の覚悟がでて良かった。

ジダンについて:普段サッカーを見ない僕に、唯一、サッカーを見たいと思わせてくれる選手だったし。彼以外ではいなかった。

日本について語れない自分がいる。世界中を旅すること。

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2006年7月17日 (月)

ドイツW杯期間中のi-pass利用について

i-pass総利用時間を計算してみた。W杯中一月で、利用した時間は約24時間、利用料金が25円/分(NTTコミュニケーションのホットスポットの場合)なので、料金は合計、約36000円となる。カード決済なので、最終的な精算は8月分でくるもよう。ドイツテレコムの短時間のホットスポット利用よりも、少し高いが、場所によってはぶちぶち切れて、時間内でも、そこで利用が終了してしまうので、使用感としてi-passの方が良かった。2006年、南アフリカがどういう状況か分からないが、きっと利用できる場所も少なくて、さらに犯罪が多いところなので、持っていったノートPCを盗られる(強盗される)人がいっぱいでるんだろうなあ...。やっぱり、南アフリカは、あの犯罪発生頻度の高さでいえば、W杯を開催する資格がないように思える。

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2006年7月14日 (金)

1ヶ月の穴を埋めてます

日本に帰国3日目、やっと体が日本に慣れ始めたようだ。最初にうんざりしたのは、やはり湿度の高さだ。ドイツでも30℃を越える日は結構あった。だが、この湿度の高さは本当にやっかいだ。ヨーロッパのスター達が、日韓W杯で、軒並みコンディション面で苦しんだということを実感する。水道橋で「kamipro100号、kamipro PRIDE GP速報版、オシムの言葉」を購入。(「オシムの言葉」は図書館にリクエストをしていたが、W杯中にちょうど順番が回ってきていた。どうやらサッカーの神様が、自分に「買え!」と言ってるようだ。ちなみに「7月19日で10刷」になっている。オシムジャパンが終了した時、この数字はどこまで行くのだろう?)

その他には、W杯中に発売されたマンガ雑誌などのバックナンバーを探すが、結構、手に入れることに苦労している。8年前は近所の古本屋で、全部揃ったものだが、現在はバックナンバーのスペースをつぶしていた。8年前に比べても、日本の物事を消費していくスピードは早くなりつつあるような気がする。現在、TVでは北朝鮮のミサイル問題、サッカーではジダン問題が中心だ。日本サッカー界で金正日化しつつある川淵三郎の「カ」の字もでてこない。これからW杯期間中のスポーツ新聞などをざっと読む予定だが、予想通り日本の敗戦で半分以上の国民にとってはW杯は終了したのだろう。

水道橋の格闘技&プロレス専門のスポーツバーでは「PRIDE無差別GP?,いままでさんざん放送したから、店内でそういう流れにならないと放映できない」と言われる。暗に「なんで、もっと早くこないんだ?」と言ってるようだ。一応、「W杯でドイツに行っていたもので..」と説明するが、まあ、彼らにとっては理由になってないようだ。まあ仕方がないことだが...。サッカーと格闘技の両方を放映してるスポーツバーでは、状況は理解してくれるのだが、やはり営業面で、現在のサッカー放映が優先されてしまう。しかし、1ヶ月の穴は、なかなか埋まらないものだ。

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お知らせ(写真削除予告)

「写真」をかなり掲載してるため、現在、ココログ容量のほぼ半分以上を既に使っている状況です。容量節約のため、将来的に「写真」は削除いたします。(次期は未定。ただし2006年7月末までは残しておきます。それ以降はいつ削除するか分かりません)。ということで、写真の方に興味のある方はお早めにお願いします。

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2006年7月13日 (木)

やっと更新できました

ココログが7/11(火)14:00~7/13(木)14:00までサーバーメンテナンスを行っていたため、更新できませんでした。(それでW杯の最後の方は重すぎる状態だったようです)とりあえず、7/9~7/10分の記事と写真を更新してます。

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2006年7月11日 (火)

7/11滞在記、北京~日本

北京では、約5時間の待ち時間があった。せっかくなので、北京空港の観察を始める。中国人は、男は日本人と雰囲気が違うので、すぐに分かるのだが、若い女性の方は、日本人と区別のつかない人間が多い。書店を見ると「CanCam」の中国版(16元)が売られていて、それを参考にしてる女性が多いようだ。その他、旅行ガイドブックも「地球の歩き方」のコピーだし、アイドルDVDも、そのアングルや撮し方が、日本のもののコピーにしか見えない。しかし、20分ほどで、その人に似たフィギュアを作る職人もいて、この辺は、さすがに歴史的に手先の器用さを生かした文化(例:米粒に文字を書く)を作ってきた国だと感じさせる。各国のコピーの氾濫、歴史的文化、経済発展、世界最多の人口、いろんなキーワードがこの国に当てはまる。そして2008年北京五輪に向けて、サッカーもかなり強力に強化を図ってくるだろう。いつになるかは分からないが、将来的に中国は韓国以上のライバルになってくることは間違いない。今回のW杯、日本人と同じくらいの数の韓国人と中国人を見た。あくまで印象でしかないが、8年前と比べると、その人数は3倍近くにはなっているような気がする。国の経済力がついた証拠だろう。金がなくても有力な選手を育成してる国(アフリカ、南米など)も多いが、強化に使う金はないよりはあった方がいいに決まっている。W杯を観戦したことで、間接的にだが、彼らのサッカーも進化するだろう。あの馬鹿会長の元では、世界のトップに追いつくどころか、いつか彼らに置いていかれるかもしれない。そういう危機感を感じている。
自宅には日付が変わった後到着した。TVをつける。北朝鮮のミサイル問題とオシムに関するニュースばかりが目立つ。どうやら川淵会長は、意図的な失言といろんな大きなニュースが重なったことにより、責任問題から話題をそらすことに成功したようだ。日本の蒸し暑さと、この雰囲気にうんざりする。
ともかく4年に一度の「祭り」は終わった。そして、これからJや世界各国のリーグ戦という日常が始まる。同時に4年後の「祭り」に向けての戦いも始まる。日本はマイナスからのスタートだ。その「祭り」をよりよいものにするために、間接的にでも協会と馬鹿会長には圧力をかけ続けるしかないだろう。それぞれができる範囲でできることを考え実行していくこと。それが、我々が「W杯」を楽しむためには非常に重要なのだ。(参加する以上は代表が強くなくてはね。受ける楽しみも半減します。)

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2006年7月10日 (月)

7/10滞在記、フランクフルト~機内、日本へ

ベルリンからのICEは7時にフランクフルト中央駅についた。11:30に不動産屋と待ち合わせして部屋を明け渡す約束なので、あまり時間はない。その後は、20:15発の中華航空でドイツともさよならする予定だ。
シャワーを浴び朝食を食べ荷物をまとめ部屋を掃除したら、11:20になっていた。不動産屋は皿の数とかもちゃんとチェックしていたが、おそらくイングランド人に比べれば、特に問題はないはずだ。ヴィースバーデンの担当とは「物件が決まったら保証金は帰りにキャッシュで戻す」という話でまとまっていたはずだが、どうもフランクフルトの事務所では「ユーロで銀行振込」になっているようだ。そういえば、そこまで話がまとまっていなかった。何せ契約書にサインしたFAXを送信したのが、ドイツに出発する5時間前なのだ。そこまで話できるわけがない。今の都市銀行の口座ではユーロで入金できないはず。名詞をもらい、帰ってからメールで銀行口座を連絡することになった。
帰りの荷物は行きの倍になっている(苦笑)。Tシャツやパーカーなどを買いすぎたかもしれない。ドイツを出発する日に郵送という手も考えたが、結局、全部、持って帰ることにした。そこで中央駅の1ユーロショップでスーツケースより少し小さいぐらいのキャリーバックを15ユーロで購入する。おそらく2,3回使ったら、あとはもたないようなちゃちな代物だが、日本に帰るまで持てば、それでOKだ。
中央駅にて手荷物を預けた後、アパートの大家さんへのおもやげを買うために三越へと向かう。大家さんには郵便物を保管してもらっている。一ヶ月になるとかなり貯まっていることだろう。
三越からレーマー広場への途中にアイントラハト・フランクフルトのFANSHOPがあった。中をのぞいてみるが、そんなに広くない上、W杯関連商品が半分を占めていた。極端にアイントラハトグッズが少ない。シャルケとは大違いだ。高原のユニもまだなかった。早々に退散し、レーマー広場へと向かう。イングランド人、韓国人、オランダ、アルゼンチン、ブラジル、W杯中、いろんな人種が訪れたレーマーも今はサポの姿は一つもない。W杯は完全に終わっていた。人々の顔も、ビジネスマンの顔、店員の顔、いつもの日常の顔に戻っている。中央駅前の店ではW杯関連商品の投げ売りが始まっていた。きっとあと5日もすれば、ショーウインドウはすっかり夏向けや一般の観光客向けの商品へと取って変わるだろう。」空港ではハノーファーのスペイン対フランス戦の時に会った人達と再会する。決勝はやはり「相場が、1枚1000ユーロ」で高くて買えなったようだ。一緒の飛行機かと思えば、彼らはANAの直行便だった。きっと帰りはW杯の話で盛り上がることだろう。帰りの中華航空では日本人の数が極端に少なかった。帰りの到着が遅いため、この便を避けた人も多いのだろう。寂しい機内になりそうだったが、疲れていたため、飯食ってる他は、ほとんど爆睡していたため、すんなり北京まで到着した。

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2006年7月 9日 (日)

7/9滞在記、ベルリン

7時に起きて、ベルリンを少し観光する予定だが、起きたら11:00だった(苦笑)。結局、ベルリンには16:00前に到着、友人に勧められていたペルガモン博物館を訪れる。日本語テープ(無料)の解説つきだ。1時間ぐらいですます予定が、終了までの2時間でも、はっきり言って時間が足りなかった。旅慣れた友人が勧めるだけあって良かったが、2時間ではあまり鑑賞しきれたとは言えないだろう。結局、今回、ベルリンは「壁」もブランデンブルク門も見ずに終了する。
軽く夕食をとった後、ベルリン中央駅へ戻り、ブログを更新しようとするが、ココログが混んでいるのかニフティのサーバーが貧弱なのか分からないが、全く更新できない。30分ほど粘ったが、テキスト記事一つでさえ、更新できなかった。
スタジアムではチケ代が高くてスタジアム観戦を断念する。試合をまともに見れたのは後半開始からだ。一日、休養が長かったイタリアの方が、全く動きが悪い。ラインがずるずる下がり、危険な位置からのクロスもフリーで上げさせることがしばしば。黒人たちの個人技を2人、3人がかりで止めるのがやっとという状態だ。「ザマの決戦」どころか、首都ローマを攻められて、いつ陥落してもおかしくない状態が続く。75分過ぎには、半分以上、あきらめていた。しかし延長後半、ジズーが、乱心の末、退場になってしまう。しかし相手が10人になったのにも関わらず、イタリアのペースは上がらない。フランスも将軍抜きでは攻め手を欠き、結局、PK戦となった。そしてイタリアが珍しくPK戦で5人全員決めてW杯を獲得した。ローマ帝国の歴史に例えれば、カルタゴの敵将軍が乱心により討ち死にし、さらに攻略できない内に兵糧がつきてしまったため、ローマが命拾いしたみたいな感じだろうか(苦笑)
この試合、サッカーの神は迷いに迷われたようだ。この試合だけで見れば、間違いなく勝者にふさわしいのはフランスだ。だが大会全体を通してみるとふさわしいのはイタリアの方だった。双方に決め手がない場合、神はPK戦を選ぶのだろう。PKに入った時点で、90年大会から続く(90年PK負け、94年PK負け、98年PK負け、2002年韓国の審判不正工作による負け)イタリアの不運を、サッカーの神様はこの勝利でチャラにしたような気がする。それにしてもジズーは、最後の試合で世界中の人間が注視するW杯ファイナルという大舞台で、頭突きで退場とは...。世界中が唖然としたに違いない。
ともあれ、W杯は終了した。ローマやイタリア各地は、「イッタリア!イッタリア!」の大合唱で凄いことになっているだろう。もちろんファンフェス会場にもなっているカイザー・ヴィルヘルム記念教会広場には、大勢の人が集まってきて